イラスト

私もひとこと(2001年2月号掲載)
なぞときの楽しみ
川合 章 日生連顧問


 「軽い狭心症があります」と医師にいわれ、投薬をうけるため月に1回診療をうけるようになってから10年は経つだろうか。幼い頃から夏を待ちかねて日本海を泳ぎまわり、心臓だけは人一倍強いと思いこんでいたのに、通勤先の名古屋で通い始めたスポーツ・クラブのプールで、息があがって25メートル泳ぐのがやっとだったのはこのためだった。
 病院に待ち時間はつきもの。退屈しのぎといったら作者に申しわけないが、肩のこらない文庫本ということで推理小説を手に通院するが、一冊読みあげるのに数か月かかる。それでも手離そうとしなかったのは、密室など空間のトリック、電話や時刻表などによる時間のトリックなどの推理にひきこまれるからであろうか。

 同じ頃、日本の近代教育の歩みに取り組んでいて、研究でもなぞときの面白さと難しさを味わうことになる。1930(昭和5)年代初め、新興教育・教育労働者運動の中心人物の一人脇田英彦(1910〜1942)が、「革命的教員」を「英雄的教員」とみることは「政治的には重大な誤謬を犯」すものだ、としていることのなぞときにはまってしまう。彼が、教壇上から「プロレタリア・イデオロギーをプロヴァガンダすること」を否定し、必ずしも十分な表現とはいえないが、基礎的・基本的な教育を着実にすすめるべきだとしていることは、彼が拘留中に書いた手記から読みとることができる。だが彼が「重大な誤謬を犯」しているとするグループと、その決定的な論拠がもう一つはっきりしない。
 脇田がこの手記を書くことになる二度めの検挙当時、日本一般使用人組合教育労働部の常任委員となり、すぐに使用人組合本部の常任委員(司法省文書は常任委員長になったとしている)に転じている。このへんの事情がからんでいると見当はつくが、組合本部と教育労働部との関係についての直接の資料が見当たらない。組合本部のニュースなどは何点か残っているが、組合の内部事情に言及してはいない。結局、革命的な教員も現実にその地位を保つことができるような活動方針を、教育労働部に求めての発言ではないか、と仮説を提起するにとどめざるをえないでいる。

 もちろん授業でも、なぞときは欠かせない。このことで鮮やかに思い出されるのは、89年、埼玉県秩父の全国集会での、東京・和光小学校の行田稔彦さんの「単位あたり量」の報告の一こまだ。彼は3か月にわたって、こみぐあい、速度、濃度、密度とすすめており、密度の学習について村田大典君がその様子をまとめている。「『こさ』の勉強のあとの方で『水は油に浮くかどうか』ということになった……次は難しかった。油いっぱいの中に水を一〜二滴落としたらどうなるかということだ。『水はちっとなので浮く』という人もいれば、『中間で止まる』という人もいて……すばるは『途中まで行って、どうして急に止まるの? 油も水も重さは変わらないのに』といったりして、とっても勉強が楽しくできた」と。
 この問が、そこにいたるまでの授業の展開をつうじて、どの子もその意味を理解できる条件の下で提出されており、しかも物質の量と質、密度の科学的理解に決定的といってよいほどの意味をもつものであることはいうまでもない。
 私たちはかつて問題解決学習を主張したが、これを社会的課題の解決と重くとらえるのでなく、うんと肩の力をぬいてなぞときを伴う学習とみ、子どもたちになぞときの楽しさを満喫させる授業を、と期待している。

『生活教育』ホーム ライブラリーのトップ