ずいそう(1992年11月号掲載)
コンピュータは敵か味方か
みといずみ 『生活教育』レイアウター/和光高等学校非常勤講師


 我が家にコンピュータがやってきてから半年が過ぎた。
 専任の教員を辞めた時以来、デザインの仕事で使えないかと思って、コンピュータのことはずっと意識していたから、決心するまでに二年もかかったことになる。
 「ためらい」の一番の理由は、「文科系の自分にあの理科のかたまりみたいな機械は使いこなせないんじゃないか」ということだったが、その一方では「使い始めたら案外のめりこんでしまうかもしれない」という不安があったことも大きい。
「自分にとってコンピュータは敵だったのか味方だったのか」、今月号の特集テーマ(「映像文化の功罪──ビデオは敵か味方か」)を見て、今そのことを考えている。
 最初の、「使いこなせるか」については結論から言えば「案ずるより産むが易し」だった。もちろん苦労はしたけれど……。
 「不安」についても結論から言うと、この「不安」はやはり現実のものになった。すでに仕事に使っているからということもあるが、「気がついたら夜が明けていた」ということも最近では「よくあること」になっている。この「気がついたら」というのが曲者なのだ。
 さて、問題の「敵か味方か」であるが、これは本当に難しい。
 この原稿は今コンピュータで書いているし、『生活教育』の割付指定紙も、今月号からは全面的にコンピュータで書いている。もうひとつの仕事である「建築パース」も最近はコンピュータで描くことが多くなった。つまり、今やすでに自分にとってコンピュータは、仕事上なくてはならない道具のひとつになっている。その意味では間違いなく「味方」、それもとびっきり便利で心強い「味方」である。
 しかし、「だから味方」と単純には言えないところがコンピュータには確かにある。
 話は変わるが、ビデオデッキを買って間もない頃、無意識のうちにやった自分の行動に気がついて思わず笑ってしまったことがある。ある時のこと、CMが始まったので早送りのボタンを押すのだが、画面はいっこうに変わらない。「故障かな?」と思って調べたら……、この先はもうお分かりと思う。そう、見ていたのは録画ではなく生のテレビだったという訳。
 他愛もないことではあるが、笑った後でちょっと怖くなったのを覚えている。早送りのボタンをせかせかと押していたのは、以前の自分とは明らかに違う自分だった。人の感覚や感性というものは、意識していないと案外簡単に影響され変えられてしまうものだなとそのとき思った。便利なものには「毒」がある。
 コンピュータにもそれは言える。以前、「コンピュータ中毒」を取り上げたNHKの番組を見たことがあるが、そこで紹介されていた「症状」のうちのいくつかは、程度の差こそあれ今の自分にも当てはまるし……。ただ、コンピュータを使うようになって、「新しいメガネを手に入れた」ような新鮮な感じがするのもまた事実なのだ。
 月並みな結論になるが、「人間性を破壊されてしまうか(=敵か)、道具として使いこなすか(=味方か)」の鍵は、コンピュータに限らず、やはりそれを使う人自身が握っているのだと思う。味方にするには心してかからねばいけない。
 オッと、また、気がついたら夜が明けていた。

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