連載 ファッションとジェンダー/第4回(2000年7月号掲載)
セクシーな気分
宮谷史子 ファッションライター


 ファッションからは性がよく見える。
 街のファッションを見ていると、「これって、なんか変じゃないか?」と考え続けているうちに、「ああ性だ 性がヘンなんだ」と思い当たったりすることがよくある。

──仮面をかぶる少女
 そんな意味で、最近とても気になった若い子たちのファッションの気分に、「ガングロ」と「浜崎あゆみ」がある。
 「ガングロ」は今さら説明するまでもないが、黒人みたいに真っ黒に焼いた肌に白いアイシャドーに白い口紅、金髪のロングヘアーに不思議とカラフルなミニスカートに上げ底靴の女の子たちのことだ。
 近頃、「今どきのパー子」の代名詞みたいな扱われ方でTVにもよく出てくるし、渋谷のセンター街に行けばゾロゾロ歩いている。
 「不気味、肌に悪そうな化粧」とか、「あそこまで黒いと、美人かブスかわからないから得なファッションだネ」とか、大人にははなはだ評判の悪いファッションでもある。
 初めてあれを見た時私は、「あっ、お面かぶって、人形のフリしてる」と思った。その姿は売れっ子黒人ファッションモデルのナオミをモチーフにした、黒い肌のバービードールをすぐに連想させた。
 顔の造作もわからないほどの化粧は、素顔をまったく隠している。金髪とカラフルな衣装とミッキーマウスのような上げ底靴は、全身で自分を造りものの人形に擬人化しているように見えた。
 「この子たち、自分を隠したいんだ」、私は直感的にそう思った。
 若い子の奇抜な自己主張の裏側には、えてして人一倍傷つきやすいナイーブな感性が隠されていたりするものだが……これも、そんな類のファッションだろうか?
 仮面のような化粧と人形みたいなコスチュームで二重に、ガングロ少女たちはいったい何からそんなに自分を隠したいのだろう。
 そんなに必死で隠す後ろにある自我は、そんなに脆いのだろうか。
 そんなにも、「素」ではいられない気分なんだろうか。
 それにしても、念入りに隠したものだ。

──バーチャルの美少女
 もうひとつ、初めてこの子の外見を見たとき、軽い衝撃を受けたのが「浜崎あゆみ」。
 今、若者たちにダントツに人気のある歌手でありアイドルだ。
 ファッション・リーダーと呼ばれているところを見ると、この子の服や髪型やメイクはかなりの女の子たちに影響を与えているのだろうし、その容姿は今の「時代のファッションの気分」なのだろう。
 この子はひとことで言えば、完璧に近い「バーチャルの子」。
 ダイエットで絞り上げたような病的に細い身体、精緻な整形手術で造り込んだようなきれいな顔に長い金髪……どこからどこまで無国籍で、人工的で、まったく生活感がない。熱や血や汗といった肉の匂いが、みごとなほどに感じられない。
 この子の外見は、ゲームセンターのコンピューターグラフィックスの「記号の美少女」そのままだ。実年齢は知らないが、決して女ではなくて「永遠の少女」というところがミソだろう。
 なんとまあ、今っぽい
 「本当にこんな人間がいるんだ」、生身の人間の身体がここまで完璧にバーチャルを装えるということは、私にはちょっとしたショックだった。
 私には、この子の顔は一昔前のレブロンやマックスファクター(外資系の化粧品メーカー)の広告にしか見えない。この子の容姿は、コンピューターグラフィックスの中の無機質な少女にしか見えない。
 完璧に肉の感覚の欠落した人工美の極致のようなこのヤセた少女こそが、TVにお守りをされファミコンとゲーセンの仮想現実の中で育った、今の子どもたちのアイドルであり美意識なのかぁ。

──セクシーってなんだろう?
 ここ数年若い子たちの間では、夏に街中で肌を出すファッションが定着している。
 スリップドレス、短いショートパンツ、もとは下着だった腹巻きのようなキャミソールやビスチェ、おへそが見えるちびTシャツ……かつてはリゾートウェアとして開放的な海や山で着た少しセクシーな服が、コンクリートの街並みを堂々と闊歩する。
 「セクシー」は、女の子たちの大好きなファッションのテイストだ。
 実にさり気なく街中で「セクシー」をこなす今の子たちに、私は「ほんとにオシャレ上手になったナァ」と感心しながらも、いっぽうで「アレッ、なんかヘンだな。この子たちが着てるのは確かに『セクシー』なんだけど、なんか全然セクシーじゃないなぁ」と、思ったりもする。
 ミニから太ももをむき出したガングロ少女たちは、果たしてセクシーか?
 ミニスカートに超ハイヒール(上げ底と言うべきか)をはき、流し目をくれる「浜崎」は、果たしてセクシーか?
 肩や足を出して渋谷や原宿を歩く、たくさんの「浜崎大好き少女」たちはセクシーか?
 私は、彼女たちを「カワイイ」「きれい」とは思えても、とてもセクシーとは思えない。
 私の記憶では、スリップドレスもビスチェもキャミソールも、もっとセクシーで色っぽい服だったような気がするが。
 私がオバサンになったせいだろうか?
 でも私は、女性週刊誌で見たマライア・キャリーの破れジーンズとキャミソール姿には、「おいっ、セクシーねえちゃん 空港でこのかっこうは、ちょっとやりすぎだろうが」と怒る。ワイドショーで有名な「叶姉妹」には、「こうも大げさで濃厚なセクシーって、高級娼婦みたいでステキ」と嬉しがる。
 決してセクシーに関するセンサーが、錆び付いてしまったわけでもないのだ。
 それにしても、服そのものはたいして変わってないのにこの印象の違いは……そうか、着る身体のほうが変わったのかもしれない。
 ふと、唐突に「浜崎」が今の時代の歌姫だとすると、私は自分の七〇年代の歌姫のジャニス・ジョプリンを思い出す。変な並べ方だが、どちらも若者に熱狂的に支持された「時代の歌姫」であることに変わりはない。
 七〇年代のジャニスは太めの身体に丸い鼻の、美人というよりはブスに近いアメリカの田舎のオネーチャンだった。
 スッピンにノーブラ、ざんばら髪にインドのスカーフを巻いたヒッピー姿のジャニスからは、むんむんと肉の匂いがした。性の匂いがした。生きる匂いがした。
 あんまり生きる匂いがし過ぎたのか、ジャニスは若くしてドラッグとアルコールで死んでしまったが、あの圧倒的な存在感は聞く者を震えさせた。
 なんてセクシーだったろう
 今の子たちが装うセクシーに比べたら、なんて泥臭くて熱のある力強いセクシーだったろうと思う。あの頃のセクシーには「肉」も「身体」もあった。
 そんなことをつらつらと考えていると……ふと、例えファッションであろうとも「セクシーって性のことなんだ」という、当たり前すぎるほど当たり前のことに思い当たる。
 そうか、私はこの子たちのセクシーには「性」を感じないのだ。
 仮面をかぶった人形やバーチャル少女には、セクシーは表現できないんだ。
 肉体の匂いが稀薄な身体から、性のメッセージなんか発信できようわけがないんだ。
 オバサンは言うぞ 「性」の抜けた身体が装うセクシーは、「オモチャみたいでカワイイ」だけで、豊かでもなければ毒もない。ツマンナイ、ツマンナイ、つまらないね。
 しかし、まさにその「肉の感覚のなさ」こそが、バーチャルで育った今の子どもたちに共通の美意識ってわけなんだなぁ。
 セクシーを着てるつもりでも、金髪やメイクで素顔を隠し、上げ底靴で身長を引き延ばし「ヤセた身体を装う」少女たちからは……私はセクシーよりも、「本当は大人の女になりたくない」「ずーっとカワイイ少女のままでいたい」という、拒食症に近いモラトリアムな気分のほうを強く感じてしまう。
 仮面にしろ、人形にしろ、バーチャル少女にしろ、あの子たちは本当は自分のアイデンティティの中に、性なんか絶対に取り込みたくないんじゃないだろうか……なぜか、私にはそんな気がしてならない。

──性は生きること
 そうかと思うと一方に、「コギャル」なんていうファッションも、十代の女の子のなかではまだまだ根強い。
 学校の制服で作るくるっと回ればパンツが見えそうなミニスカート、なま足に幼稚園児みたいにずり落としたソックス。そり眉と赤いリップで作る大人の女のような顔。
 これはまた、「顔と身体は立派な大人の女だけれど、まるで幼稚園児みたいに短いスカートでなま足よ。で、中身は学校の制服に守られた女学生というわけなの」という、過激なほどに性的なエッセンスがぷんぷん匂うファッションでもある。
 ウリだエンコーだとオヤジと少女の買売春が社会問題になって久しいが、あのファッションを見てる限り、私は「オヤジが刺激されちゃうのも、無理ないよなぁ」などと、つい思ってしまう。
 あのコギャルという過剰に性的なファッションは、私には少女たちが無意識のうちにオヤジという男社会を挑発するため、発明したファッションのように思えてならない。
 が、まあそれはともかく、私はおそらくコギャルもガングロも「浜崎大好き少女」も、同じ女の子がたどる同一線上の現象だろうと思っている。
 かたや過剰に性的、かたや性をアイデンティティからスッポリ抜いてしまったような、仮面や人形やバーチャル少女。
 一見正反対のように思えるファッションの二つのテイストだが実は根っこはひとつ、同じ胴体から発生した双頭のような、そんなファッションのように思えてならない。
 というのも、コギャルたちの過激に見える「性」もまた、幼稚園児のように自信がない不安定な性の裏返しに見えるからだ。でなければ、どうして制服(学校)という「群れ」を着てやる必要があるだろう。
 どちらも自分の「性」を大切にできない。
 どちらも、自分のアイデンティティの中に「性」がうまく取り込めていない。
 どちらも、人間が生きていく上で屋台骨であるはずの「性」が、とてもバランスが悪くて不安定なファッションに見える。
 なんだか「ニュートラル」がなくて、いきなりトップギアに入ったりエンストしたりしてる……そんな感じがするのだ。
 時代と共に「セクシー」の概念は変わる。
 ジャニスのセクシーがバーチャル少女のそれより、正しいとかエライとか言うつもりはもうとうない。
 しかし、仮面や人形やコギャルたちのことを考えていると……なんだか「性」が稀薄な身体って、あんまり健康ではないような気もするのだ。
 生きることと切り離せない、「性」が稀薄ってのは……なんだか気になるなあ。

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