タイトル

連載 ファッションの風影/第3回(2001年6月号掲載)
流行り歌の気分
宮谷史子 ファッションライター

 真夜中に、息子がノートパソコン片手に私の部屋にやってくると、ADSLとやらを自慢し始めた。
 すごく速くて電話代もかかんなくて、なんかとにかく「すごい」らしい。「すごい」ついでに、最新のヒット曲からパリコレ速報まで、最先端の情報を瞬時にダウンロードしてみせてくれる。
 私は「なんと」とか「スゴイ」とか言いながら……普段何気なくやり過ごしているたぐいの、ヒットチャートからCFソングまで、真夜中に片っ端からけっこうしっかりと検証してしまった。

──あゆちゃんとウルフルズ
「まずは、浜崎あゆみ 私、どうも最近のこのコの異常な大ブレイクのしかた、ちょっと気になるのよね
 先日なんか本屋の雑誌コーナーが、女性誌から音楽雑誌から経済誌まで半分ぐらいの雑誌の表紙がぜーんぶ、浜崎あゆみのキンタロウアメ状態だったのには驚いた。
 いくらカリスマ的人気ったって、表紙にアユちゃん持ってくりゃ部数が伸びるってわけだろうけど、出版社もちょっとイージー過ぎない? まったく、どれがどの雑誌だかもわかりゃしない。
 それにしてもどうも苦手、あの顔は。
 あのバーチャル美少女のような金髪の顔は、あそこまでシンメトリーにきれいだと、あまりにも人工的でちょっと息苦しい。
 健康も不健康も、血も肉も汗も成熟も若さも、時間の経過まで否定しているようで……その生身の人間っぽくなさゆえ、妙な「不安感」がつきまとう。
 しかし、あらためて浜崎あゆみの歌をよく聴いてみると、「暗い」のねえこの人は。
 完璧な記号の美少女は、本来ならハッピーやラッキーを歌うはずなのに……このコが、女のコっぽいセンチメンタルな歌詞の裏で発信してるのは、重苦しい時代の閉塞感とか、妙に老けた感じの孤独や絶望に……私には思えてしかたがない。
 ……ふーんアユちゃんって、こういう歌うたってたんだァ。こういうのが若いコにとてつもなく売れてるわけか、ふーん。でもこの「暗さ」には、なんか引っかかるなあ。
 そういえば、最近はこの浜崎あゆみを筆頭に、自分で詩を書き歌いヒットしているのは、圧倒的に女の子たちに多いらしい。
「ねー、今度は鬼塚ちひろ出してくれる。それから椎名林檎と宇多田ヒカルも」
 しかし、どうして女の子ばかりなんだろう? 男の子たちはどうしてるんだろう?
「そういえば、最近ヒットしてるウルフルズの『明日があるさ』は、元気な男のコたちだったけ。次、ウルフルズ えっ、『明日があるさ』はウルフルズ版とオール吉本版と二つあるの?」
 この歌には昔どおりの坂本九の歌詞のオール吉本版(リ、バャパン)と、リメイクした歌詞のウルフルズ版があった。
 そして、ふたつの歌詞を聴き比べてるうちに、考えてしまった。
 オール吉本の昔の歌詞は、うぶな若い男の子が、好きな女の子に声もかけられず……と内容自体もかなりレトロちっくだが、「明日があるさ明日がある、若い僕らには明日がある」というところが、今聴くと完全にギャグにしか聴こえない。
 どこがって? 「若い僕らには夢がある」の「僕ら」ってところよ。
 その辺もちゃんと計算してあって、これは吉本のお笑い芸人オールスターズが歌ってる。
 一方ウルフルズの歌詞リメイク版は、「どうして僕はガンバってるんだろう? 家族のため? 自分のため? 答えは風の中」という歌詞も今の気分なら、さびの部分も「若い『僕』には夢がある」になっている。
 たった一字違いなのに、夢があるの前の「僕ら」と「僕」の違いの大きさったら
 ふーっ、「時代の気分」がこんなにも違うんだね。
 今どき、バカ元気のウルフルズが酔っぱらって「おらぁー若いからサァ、夢があんのヨ」って騒ぐのは、「ウルセーけど、あーゆーヤツなんだよね」って、笑って許せる。
 でも、しらふでマジに「若い僕らには夢があるじゃないか」なんて言われたら、気持ちが悪くてギャグにもなんないってとこか。

──流行り歌の気分
 それにしても、この歌が流行ったのは30年前? 35年前?
 確か高度成長の時代だったよね。
 あのころって、「歌声喫茶」なんてのがあったころだったっけ?
 地方から出てきた中卒の働き手が「金の卵」なんて言われてたころだったっけ?
 いずれにせよ、若い男のコたちはセーラー服でお下げ髪の可愛いあの子を思いながら、大人になって「明日があるさ」とがんばれば、一戸建てのマイホームぐらいは現実的な庶民の夢だったころじゃない?
 誰もがまじめにコツコツ働けば、そこそこの豊かさと幸せが約束されていると信じられたからこそ……若い「僕ら」には夢がある、ってみんなで歌えたんだろうなあ。
 しかしそう考えると、フリーターとリストラだらけの今の時代の「若い僕ら」は、果たしてどんな夢を抱くんだろう?
 「僕ら」に、夢なんかあるんだろうか?
 そういえば、昔はフリーターのことは失業中とか臨時雇いって言ったし、リストラのことは「首切り」って言ってたよねえ。
 今、「金の卵」って何のことだ? 出口の見えない不況で、就職は大変だ。
 中卒はおろか、高卒はおろか、大卒だって就職は大変だ。オイシそうな職業はもう世襲制と言っていいほど、カネもコネも引きもある二世と決まってる。なんにもない「僕ら」は、就職さえ危ない。
 フリーターという口触りのいい言葉のマジックの陰で、年齢制限という時限爆弾をかかえる就職浪人なんかに、なりたくなくてもならざるをえなかった若者たちがどれだけいることだろう。
 一人前に稼ぐのも難しい「僕ら」は、就職出来たら出来たでいつリストラに合うかも、わかんないのだ。
 可愛いあの子を見つけたからって、ひょっとしてあの子とうまくいっちゃったからって……結婚したらしたで子どもが出来たら出来たで、住宅ローンに教育費が「僕ら」の肩へのしかかる。一戸建てのマイホームなんて夢のまた夢。
 それでも、ガンバってガンバって現実を一つずつ乗り越えて、そして「ある日突然考えたら、どうして僕はガンバってるんだろう?……答えは風のなか」っていうのが、「僕ら」よりちょっとお兄さんたちの、健気な今の気分なんだろうなあ。
 真夜中に二つの「明日があるさ」を聴き比べながら、私はそんなことをとりとめもなく考えた。
 そういえば、ウルフルズの元気さって、なんかすごく「ヤケッパチ」っぽい元気さだよねえ。

──女の子のユメ・男の子のユメ
 女の子たちの歌の気分も確かに暗い。浜崎あゆみは暗い。椎名林檎はもっと暗い。倉木麻衣も宇多田ヒカルも決して明るくはない。
 でも、女のコたちにはまだ抜け道があると思うよ。
 女の子たちが好きなのは、あゆや林檎やヒカルだけではないからね。
 女の子たちは、暗い歌を口ずさみながらブランドものが満載の雑誌をめくって、次に買いたいプラダのバッグのことを考える。
 知ってる? 高級ブランド屋って、不況とは無関係にやたら景気がいいのよ
 女性誌に巻頭からばんばん広告を載せるわ、銀座や青山の一等地に自社ビルは建てるわ、郊外に出したアウトレット店は大盛況だわ……高級ブランドにとって、今や日本はとてつもなくオイシイお客さまなのだ。
 高級ブランドはファッションやモードとしてではなく、「ステータスのユメ」としてしっかりと日本に定着した。
 女のコにとってブランドは、伸ばせば手の届く、ちょっとガンバレばカネで買える「ユメ」なのだ。
 例え六畳一間のアパートからだって、お昼がコンビニのシャケ弁当だって、ブランドものを身にまとい一歩街に出れば、とたんに「マックスマーラーのジャケットを着て通勤するいい女のアタシ」に、「シャネルでお出かけするおしゃれなアタシ」に変われる。
 ブランドは、その為のユメの小道具なのだ。
 そういう意味でも日本では「ユメ」が必要だし、自力でユメをつくれないのなら、フランスやイタリアから買うしかないのかもしれないね、ユメも。
 女の子にとって、暗い歌とユメは何の矛盾もなく充分に同居できるのよ。
 だって……今はちょっぴり暗いナイーブな私でも、いずれリッチでハンサムなダーリンと、シャネルを着てウェッジウッドのカップでアフタヌーン・ティーをしているかもしれないのだもの。
 現に生まれが不幸そうなアムロも、暗い目をした林檎も、ヤンキーの工藤しずかも、みーんな優しいダーリンを見つけて結婚しハッピーなママになったではないか。
 アタシだって、キムタクほどのハンサムじゃなくても、ベンツに別荘ほどのお金持ちじゃなくても、そこそこの白い王子さまがやってこないわけはない……アタシにだって。
 そう、これだけ女が様々な職場に進出しようと、今だって充分に「結婚」は女の子にとっては「双六の上がり」であり、切り札であり、最後の逃げ場なのだ。
 でもね、男の子はそうはいかない。
 いやでも経済原則の上に立たされる男の子たちに、逃げ場はない。
 男のコにリッチな白い王子様は絶対やってこないし、結婚は双六の上がりでもなければ、切り札でも、ユメでもない。さらなる厳しい現実の始まりに過ぎない。
 女の子たちのように、手軽に現実からワープするユメも持てない男の子たちは、いったいどこへ夢を繋いだらいいのだろう。今の時代に。

──見えない時代
 それにしても、いったい今の時代って豊かでそこそこ明るい時代なんだろうか?
 それとも暗い時代なんだろうか?
 そんなことをぼんやり考えてたら、朝刊を開くなり一面に「49才、なぜ切れる?」という見出しが飛び込んできた。
 殺人などの凶悪犯罪者の年齢のトップは、17才の少年でも20代の若者でもなくて、49才の中年なのだそうだ。ついでに自殺者のトップも49才だという。
 そのなんとも暗い記事を読みながら、「このニュースはおそらくたった一日新聞の一面を飾るだけで、夜のニュースショーも週刊誌も雑誌も取り上げない、一過性で埋もれてしまう類のニュースじゃなかろうか」という、漠然とした予感を持った。
 流行り歌には、莫大な金をかけて「情報」が育てられる。
 しかし、ここまで暗いやりきれないどうにも救いがない情報は、「暗すぎてニュースとしての価値も、オイシサもない」と判断するんじゃなかろうか、マスコミは。
 ことの重大さとは無関係に。
 「情報」の処理のされ方なんて、そんなものじゃないかと思う。
 今の「時代の暗さ」は、すごく見えにくい。

『生活教育』ホーム ライブラリーのトップ 次の回へ