タイトル

連載 ファッションの風影/第4回(2001年7月号掲載)
私のファッションの気分
宮谷史子 ファッションライター

 私は、よく「ファッションだからオシャレな人だろう」と勝手に思い込まれるが、実は「灯台もと暗し」もいいとこで、「もう少しなんとかしたら」とか言われたりしている。
 それでも昔は、「ファッションの人に見えねば」と努力もしたが、最近はそれも面倒になって「服なんぞ必要最小限で済ませられないものか」と、本気で考えたりしてる。
 それにしても私のファッションは、いつから?どうして?こんな具合になってしまったんだろう。
 そんなことを、真夜中のファッションニュースでパリコレ速報見ながら、つらつらと考えた。

──最近おもしろいのは……
 私はもともとフィクションよりノンフィクションを好んで読むほうなのだが、いつからかファッションまで造られた「モード」より、街や市井の人々のノンフィクションのほうが、断然おもしろくなってしまった。
 「フツーの人こそが、過激だったり、オリジナリティに溢れてたりする」のは、本もニュースもファッションも同じことなのだ。
 で、最近だと政治のニュースと国会がおもしろいよね。
 渋谷や原宿のわかりやす過ぎる金髪の子どもたちと違って、一癖もふた癖もカモフラージュもある政治家たちのファッションは、一通りでなく難解で読み解きがいがある。
 のっけから改憲論だ靖国参拝だと「この政権って、ちょっとヤバそう」と思いながらも、総理大臣からしてあの歳でパーマのライオン頭っていうのだけは、気に入っている。
 「それにしても、この中年男(初老か?)の、ある種の「ファッショナブルさ」には、充分に注意しないといけないなあ」とか、
 「真紀子大臣は、応援演説にはジーンズで国会にはカチッとしたシャツやスーツでと、割合着るものにハレとケがはっきりしてて、少なくともその辺はフツーの生活者の感覚をわりあい持っている人かも」とか、
 「角界に『女も土俵に上がる』と、最初にねじ込んだ法務大臣は、楚々としたスーツ姿にも『鉄の女』的な硬質な固さがあるなあ。この人、恐いだろうなあ」とか、
 「『いったいこの人の衣装代はどうなってんだろう?』という扇大臣。彼女はなぜああも取っ替え引っ替え、いつも鎧甲のように装わずにはいられないのか? この人のキンキラキンは、ほとんど依存症や嗜癖に近いものがあるけど……頭んなかは大丈夫かなあ」
 とか、とか、そんなことを考えながら政治家のファッションをチェックしている。
 ほとんど見張っている気分。なんかもう、戦ってる気分で、TVのニュースひたと見つめてんの。
 うん、けっこう疲れる
 それにしても、ファッションというと(まあファッションに限ったことでもないんだけど)、私の中ではどこかで無意識にカチッと「戦いモード」のスイッチが入ってしまう……ような気がする。
 これは仕事柄だろうか? それだけでもない気がするんだけど、なぜなんだろう?

──過激な時代
 1948年生まれの私の場合、戦後日本のファッションの歴史はそのまま私自身のファッションの歴史と重なるが、この戦闘的な気分もまた、私が経た「時代の空気」と関係がなくはないだろう。
 私が最初にファッションに興味を持ったのは十代だった1960年代のことで、70年代のミニスカートやヒッピー、サイケデリックといったストリート、ファッションにどっぷりと浸かった世代だ。
 6、70年代のストリートファッションというのは、イギリスの階級社会に対する労働者階級のモッズやロッカーズ、アメリカのベトナム戦争に対する反戦運動としてのヒッピーなど、政治的に「戦う」色合いの非常に濃いものだった。
 流行り歌の中にまで反戦や革命があり、「ラブ&ピース」と背中合わせにドラッグや乱交や死があり、今の感覚でファッションというにはかなり毒が強いものだった。
 考えてみれば、たかがファッションとは言えミニスカート一つ取ったって(私たちはさんざんはいたけど)、母親たちはもちろんのこと私たちの少し前までの女の人たちは、「街なかで人前で太もも出す」なんて、とんでもないことだったのよねえ。女の人にとっては、革命的なことだったのよねえ。
 ミニスカートとチープシックでそれまでのモードを壊したマリークワント。音楽を壊したビートルズにローリングストーンズ。絵画を壊したアンディウォーホール。デザインを壊した横尾忠則、女の美を壊したツィッギー。ブルースを壊したジャニスジョプリン……なんかいろんなものを壊して、壊しついでにジミヘンやジャニスやら多くのミュージシャンたちが、ドラッグで死んだ。
 日本でも、大学生や高校生やウーマンリブやベ平連やらが、そこらの石畳から大学から新宿駅までいろんなものを壊していた。
 私の回りもデモと集会とバリケードだらけで、そういうのにまったく無縁な私でさえ、新宿をぶらついてるだけで警官に尋問された。
 大学は三年でロックアウトされ封鎖になり、友達はカルトン(画板)を取りに行って、キャンパスに放された警察犬に噛みつかれた。
 「美で女を差別するな」とモナリザに赤ペンキをかけようとしたリブの活動家は、大学のクラスメートだった。
 私は音楽と映画とファッションをむさぼるように浴びてるだけの、新聞もろくすっぽ読まないノンポリ学生だったけど、それでも時代の空気を目いっぱい吸っていた。
 よく思うのだが……およそ政治も社会も考えないパーみないな学生だったのに、あの時代の「戦う空気」は、私のどこかに染みついてしまったのではないかと……そんな思いにとらわれることがある。

──たまたまファッションだった
 そんな時代に職業を試行錯誤し、当時脚光を浴び始めていたスタイリストという仕事にねらいを付けた。この仕事なら、広告も写真もレイアウトも基礎は大学で学んでいたし、大学の友達が全てデザイン科だったので潜り込む隙もあった。
 そして、スタイリストからファッションに入り、ファッション記者になっていった。
 もともと、ものを作るのが好きで写真が好きで、造形ととしてのファッション頁を作る仕事にはたいそう熱中した。
 その頃の私にとっては、ファッションは女の子の生活のなかのわくわくする夢であり、詩でありファンタジーだった。
 洋裁の基礎、ヘア・メイクのノウハウ、写真の撮り方、ネームの書き方、過密スケジュールや徹夜原稿の裁き方……目の前の「ファッション」という課題に夢中で挑戦していた頃は、それこそ毎日がきらきらした戦いだった。
 しかし、「戦い」もすぎ一通りの仕事が出来るようになると、いつしかファッションにはもう飽きてしまっている自分がいた。
 若い女、あるいはちょっと若くない女相手に、着ることによって造り上げる「造形の美」なんてものは……突き詰めればしょせん見栄と虚栄につきるわけで、読めてしまうとそれだけのもので案外「底が浅かった」。
 ちょうどその頃女性誌の創刊ラッシュがあり、ファッションページは実用化という名目のもとに、どんどんカタログ化し細分化していった時期だった。
 ブランドもの全盛になり、ファッションページからは時代のエスプリも写真の気分も消えて、「着ること」が「買うこと」に変わっていった。
 生活のため猛烈に仕事をこなしながら、ますますセコイ実用と見栄と虚栄に流されていくファッションの仕事に……私はいつか「飽きる」どころか、しみじみと「ファッションなんて嫌いだ」と思うようになっていた。
 そう思いながら、なんだか心の中にポッカリ穴が空いたようだった。
 当時どうにもファッションの仕事をやるのが辛かった私は、ライターやインタビュアーといった書く仕事ばかり優先的にやっていたが、このファッションとライターの二本立ての時期はかなり長かった。
 昼間はイッセイのスーツで打ち合わせをし、夜中にもんぺとBVDのTシャツで徹夜原稿を書いた。
 保育園の帰りに子どもと一個80円のコロッケを食べながら、明日撮影する一着15万円のジャケットのことを考えた。
 ファッションは、夢でもファンタジーでもない。だからといって「スカーフの結び方」や「ブラウスの着こなし」なんてちまちましたノウハウでも、物欲や見栄や虚栄でもないはずだった……それなのに、私にはファッションが完全に見えなくなっていた。
 ファッションに迷っていたそんな時期に、小さな出会いがあった。
 週刊誌の取材で、自宅のガレージの片隅で子供服のリサイクルを始めた女の人に会いに行った時のことだった。
 「どうしてリサイクルを始めたの?」という質問に、考え考え彼女は言った。
 「こんなこと言うと大げさに聞こえるかも知れない。でも私この頃、やっぱり『人間って戦わなくっちゃいけない』って、思うようになったのよ」
 意外な言葉だった。だって、ご近所相手の子供服のリサイクルの話である。
 「私の場で、私の出来ることで、そこから『戦う』しかないんだなあ。それなら、私には何が出来るだろうって思ったら、それがリサイクルだったの」
 昼下がりの住宅街で、洗いざらしのジーンズで近所の子どもたちと地べたにしゃがみながら、ふつーの主婦である彼女が淡々と言った「戦う」という言葉は……不思議と私の心の底に響いた。

──戦い続けること
 それからしばらくして、私は初めて自分の本を書いた。
 「飽き」ても「嫌い」でもファッションを続けることが私の戦いなら……もう、自分のファッションを見つけ、自分の言葉で語るしかなかった。
 あの時私に、「戦う」ことを教えてくれた彼女もまた私と同世代だったが、やっぱりあの過激な時代の空気を吸った人だったからこその、「戦う」という言葉だったのだろうか?
 少しずつ自分の言葉でファッションを語り始めると、私はやっぱり本当はファッションに「飽きても」「嫌い」でもないことがわかった。それは嬉しかったな。
 あれから、長い時間がたった。
 そして気がついたら、私のファッションはおよそパリコレやモードとかけ離れた、そこらの街やフツーの人々や、人が生きることに向かっていた。
 服はますます買わなくなり、ユニクロと息子のお下がりのボロTシャツで原稿書いてる私は、「もしかしたら、最初から『モード』なんてものには興味がなかったのかもしれない」と、思ったりすることもある。
 が、これでも昔より少しは、「ホンモノのファッションの人」に近づいたのではないかと、内心秘かに自負したりもしてるのだ。
 自分のファッションのことを考えるとき……道ばたで子どもたちとしゃがんでいる、ジーンズ姿の女の人のいる昼下がりの住宅街の風景を、今も不思議と思い出す。

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