タイトル

連載 ファッションの風影/第5回(2001年8月号掲載)
身体をいじる気分
宮谷史子 ファッションライター

 若い子たちのファッションの中に、金髪茶髪にピアッシングにタトゥ、美白にダイエットにエステに整形といった「身体をいじる」気分が色濃くなってきて久しい。
 しかし、身体をいじる気分はどうも若い子たちだけのことでもなさそうだ。
 大人は大人で「シェイプアップ」や「健康」とファッションとは名をかえて、ダイエットやスポーツジムで身体をいじることに熱心だ。
 そんな風潮のなかで、身体という肉体の存在感が、どんどんファッションから薄れていくような気がしてならない。

──アブナい気分のオシャレ
 「身体をいじるオシャレ」というのは、昔からファッションの一つの分野として歴然とあるが、ここ数年ハードにもソフトにもこの気分がとても強くなっている。
 ハードなところで極太のピアスや顔や身体へのピアッシング。タトゥも確実に流行っている(最近は「入れ墨の方お断り」の公営プールでも、タトゥの子をみかけるようになったネ)。整形手術も、隠れてやることから白昼堂々のファッションに昇格した。
 ソフトなところではダイエットやヘアダイ、ピアスやカラーコンタクト。美白も脱毛(これ、男の子も熱心なんだよね)も厳密に言えばそうだし、厚底靴もプロポーションをいじるという意味では、ダイエット効果と同じ身体をいじるオシャレのひとつに思える。
 身体のオシャレも、「ああしてみたら?こうしてみたらどうだろう?」の延長線上にある限り、健康的だと思うのよ。それも挑戦であり冒険であり、前向きで建設的なエネルギーだからね。
 しかし、その容姿を作り込む気分が強迫観念的に執拗になってくる(身体をいじるのって、つい執拗になりやすのよ)と、「なにも、そこまで」と思ってしまうことも、最近少なくない。
 例えば、男の子たちが異常にこだわってツルツルに剃ってしまう足のすね毛とか、女の子たちが朝シャンで作る「これでもか」ってほどのサラサラヘアーとかね。
 化粧品のキャッチコピーなんかにも、そんな気分はよく出ている。
 「昼も美白、夜も美白、四週間美白」、「光らないテカらないファンデーションに、食べてもキスしても落ちない口紅」、「鼻の脂専用の毛穴すっきりパック」……人間なんだから、黄色人種なんだからねえ、なにもそこまで白くならなくてもいいじゃない。汗かきゃ化粧は落ちるし、キスすりゃ口紅は落ちる。毛穴までいちいち言うなよ
 美白もそうだが、日焼けを防ぐ紫外線カットの「UVカット」商品の多様さにも、ちょっと不気味なものがある。化粧品はもちろんのこと、帽子、メガネ、ストッキング、車のフロントガラスってのもあったぞ。
 もう「色白になりたい」というよりも、白さに少しでも悪さする紫外線なんて、「きゃーバイキン! あっち行け」って感じで、過剰な潔癖主義を感じてしまうんだけど。
 毛穴に至るまでピッカピカ、塗ったら最後落ちるなんて許さない。白じゃないのは全部黒で灰色は全部にバツ。もう○か×しかない……そんな息苦しい気分をね。
 汗、口臭、トイレの後などの「匂い消しシリーズ」にも、しかもそれが携帯用となると、もう商品自体に強迫観念に近いものを感じてしまうなあ。

──漂白された美少女
 先日、女性誌で染め眉特集(髪じゃなくて眉よ、眉)というのを見たときは、「うーむ、とうとうここまで」と、うなってしまった。
 メイク的には、金髪や茶髪に黒眉くっきりは確かにヘンだが、眉なんて適当に抜いたり描いたりしても、それなりに金髪とのバランスぐらいすぐ取れるのだ。
 で、眉を染めるとなると、まず染め薬が肌に付かないように(顔だからねえ)眉のまわりにクリーム塗って、黒い眉を一本一本(頭みたいに、クシでざざっと塗るってわけにはいかないの。顔だからね)脱色してから、金なり茶なりの色をかけるという、かなりちまちました大変な作業。
 私なんか、一人でこの眉をいじり込む作業にかける執拗なエネルギーを考えただけで、「いやあ、やるか! そこまで」と、思わず引いてしまう。
 で、「金髪や茶髪にナチュラルな太めの金眉や茶眉が、今年の気分」と、女性誌は言うんだけど。
 金髪茶髪に縁取られた黄色い肌や起伏の少ない顔に、黒いマスカラたっぷり塗った睫毛と黒めがちの瞳は……やっぱりナチュラルというよりは、なんか不思議な感じ。とにかく国籍不明なことは確か。
 それにしても、今の若い子に人気のあるタレントや歌手は、みーんなこの「金髪茶髪で色白スレンダーで国籍不明」という、手をかけて作り込んだナチュラル系(作り込んでるけど、厚化粧に見えないということね)の容姿をしているんだなあ。
 今の若い子たちの「きれいな子」という美意識って、黄色人種の生身の肉体からはどんどん離れて、限りなく漂白され無臭(イメージとしての無臭ね)になってきている。
 それは、アニメのキャラとかバーチャルの美少女とか、もうほとんど「記号」に近い。
 で、またこの記号に近い美意識は、もともと記号自体がシンボライズされたものだから、誰でもある程度ヘアなりメイクなり「身体をいじり込めば」、似せられるものなのね。
 初めて浜崎あゆみを見たときは、そのバーチャルな外見にびっくりしたが、どんどん金髪にぱっちり目のスレンダー美少女が出てきた今では、外見をパッと見ただけではもうどれがアユだかイワナだか区別がつかない。
 逆に言えば、あの金髪とスレンダーボディという記号を取ってしまうと、区別がつかないぐらいその肉体は個性的ではない。
 個性的でないというよりは、その肉体が語る存在感が薄い。そりゃそうよ、肉体の存在感がなければないほど、また完璧な記号になれるわけだしね。
 しかし、「色白金髪のスレンダーボディ」という漂白された無国籍風の美意識は、黒髪で黒い瞳の黄色い肉体から離れて、いったいどこへ向かうつもりなのだろう?
 それにしても、なんか「もう、素のままでは、ありのままではとってもいられない」って気分なのかしらねえ。

──大人たちも、また
 しかし今、この「身体をいじる」気分は決して若者や女の子たちだけの専売特許ではない。ダイエット、ヘアダイ、整形などは大人たちにとっても大きな関心事だ。
 ジムもプールも中年でいっぱいだし、女性誌は常にダイエット特集を組んでいるし、薬屋の壁面のひとつは完全にダイエット商品で埋まっている。
 若者達だけでは、こうまでダイエット産業の繁栄に貢献できる筈はない。
 大人が身体をいじる気分は、若者達の「もっと〜なりたい」という発想と違い、「失った若さを取り戻したい」という気分がついて回るのが、ちょっと哀しいかな。
 しかし、近年、ほんとうに「人間が年を取らなくなった」こと考えると、なんか無理もないとも思うのよ。
 顔と化粧は濃くなったが昔と寸分違わぬスタイルで、50代の元アイドルが踊りながら絶唱している。ニュースキャスターや俳優や政治家の60代なんて、まさに脂ののった働き盛り。70代の宇宙飛行士が地球を回って帰ってきたかと思うと、80代でバンジージャンプに挑戦するお婆さんが出てきたり。
 今、いったい幾つぐらいが「中年」なのか「老人」なのか、さっぱりわからない。
 今「人生80年」だとすると、20歳で成人してもあと60年も大人をやるわけだ。
 20代で結婚して、40代か50代で子どもも育ち家族の役割も終わり、それから30年近く「若くはないが、老いてもいない」大人の時間が残っているわけよね。
 この30年近い大人の時間が現れたのは歴史的にはまだ最近のことなので、過ごし方についてもアイデンティティの持ち方についても、前の世代からのろくな伝承がない。
 近代になって突然プレゼントされた長い大人の時間に、新しい大人たちはどう対応していいかわからずウロウロしてるんじゃない?
 そんなこと考えるとき、猛烈な早さで回る社会から振り落とされないように、とりあえず必死で身体を絞り、鍛える大人たちの姿は、痛々しくも愛おしい。
 伸びた人間の寿命に従って、ダイエットと白髪染めとジム通いでひそひそと迫る老いをハッシと撃退し、涼しい顔で「若々しく」笑うのが……現代人としての努めなのかもしれないねえ。
 やれやれ! 今の時代って、私ら大人はおちおち歳も取っていられないのかなあ。
 しかしそう思う反面、大人達が追い求める「若さ」というのもまた、若者たちがこだわる国籍不明の美形と同じように、所詮ありもしない絵空事の記号なんじゃなかろうか……とも思うのよ。
 この情報過多の世の中で、大人達もまた若者達とは違った意味で、現実には有り得ないような「健康」や「若さ」や「力」という、情報が造り上げた架空の記号に、振り回されているんじゃないかと思ったりもする。
 大人達もまた、今どき「ありのまま」ではとってもいられない気分なのね。

──身体はつらい?
 最近の温泉ブームで、私の家の近くにもクアハウスみたいな大きな銭湯が出来た。
 オバサンやお婆さんだけでなく、体育会系らしき10代の女の子たちから、ブルーのマニキュアで金髪かきあげておしゃべりしてる20代のギャルたちまで、さまざまな年代の人々がやってくる。
 そんな人々を観察してて、年齢に関係なく「気持ちのいい裸」と、「あんまり気持ちよくない裸」があることを発見した。
 「気持ちよくない裸」って、要するにちょっとフツーじゃないヘンな痩せかたをしてる身体なんだけど……近頃若い子に限らず、こういう人を案外見かけたりするのよ。
 そんな人を見ると、「ああ、この人、服を着てたら『ヘンな痩せかたの人』じゃなくて『スタイルのいい人』になるんだなあ」ということに、ふいに気がつく。
 で、またそんな人に限って流行のヘアスタイルや凝った下着を着てたりするのをみると、「なるほど! この人はオシャレな人で、この痩せかたも彼女のオシャレの一部なんだ」と、納得したりする。
 納得はするが、化粧や服という社会もナルシスティックな幻想もはぎ取られた裸の、不自然に痩せた身体はなんだか痛々しい。
 反対に「気持ちのいい裸」ってのは、年相応にピンと張ってようがくずれてようが、いかにも健康そうな身体なのね。
 まあるいお腹やたっぷりしたお尻は、もしかしたら服を着ると「デブ」になっちゃうのかもしれない。
 でも、そんな伸びやかな裸が湯気の中でピンク色に息づいている様子はなんとも気持ち良さそうで、私は素直に「人間の身体ってきれいだなあ」と思ったりする。
 化粧や服を脱ぎ捨てて、裸になっても「美しい」と思うのは、いじめられてない身体、あるがままの自然な身体だったりする。
 今の時代って、身体も大変だよねえ。

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