タイトル

連載 ファッションの風影/第6回(2001年9月号掲載)
戦争を知らない、戦争論
宮谷史子 ファッションライター

 平凡な日常の中で、思いもかけずに強烈に「命」に向き合わざるを得ない時がある。
 夏の朝、息子の友達がバイクの事故で亡くなった。21才のあまりに若すぎる死は、いったいどう考えたらいいのだ。
 命ってなんだろう。生きるって、なんなんだろう。若すぎる死には、残酷な以外のいったいどういう意味があるんだろう。

──若者の命
 「Iが死んだ。バイクだって」と聞いた時から、私の神経はどうにもざわついて「一番ヤバい親モード」に入ってしまった。
 こうなるとコントロールが効かない。理性も知性もぶっ飛んでしまう。
 とうとう、息子が高校生になったくらいから自分に禁じている、「夜中に帰ってこないのを心配する」電話を、息子のケータイにかけてしまった……まったく、20歳過ぎの男の子になにやってんだか。
「Iの父さんが『生きてたらぶん殴ってやりたい』って言ってた。悲しかった」
「男親の気持ちだねえ。たまらないね」
「一緒に行ったMんちに寄ってきたんだけど、僕たちが家を出ようとしたらMの父さんがウロウロ玄関まで付いてきて、『そっちの車には乗るな』とか『運転に気を付けろ』とかうるさいんだよ。
 普段は全然あんな人じゃないのに、ちょっとヘンになってるんだよ。それ見たら、なんか親って可哀想になっちゃった」
「Mの父さんの気持ちよくわかるなあ。親はみんな同じ気持ちなんだね。
 私なんか死んじゃったIより、Iの父さんのほうがもっと可哀想だ」
 数日間というもの、何をやっていてもIの死が頭から離れなかった。
 そんな時、ふいに「ベトナム戦争に従軍した兵士の平均年齢は19才だった」という、昔ドキュメンタリー映画で知った事実を思い出した。
 一人の若者がバイクの事故で死んだだけでも、これだけ回りの人々をたまらない思いにさせるのに……国家体制で、6万人近い平均年齢19才の若者たちが死んでいったなんて、なんて酷いことだろう。
 彼らの廻りには思いをかけて育てた親がいて、祖父母がいて、教師がいて、それから親友もいただろうし、恋人も、仲間もいただろうに。
 ましてや報道の少ない北ベトナムのほうは、いったいどうなっていたんだ。
 私が真剣に戦争を考えるようになったのは、子どもを持ってからだ。
 「戦争を知らない子供」だった私は、本気で戦争のことなんて考えもせずに育った。
 戦闘機や戦艦にはさして興味も持たなかったが、「史上最大の作戦」のスティーブマックウィンにはしびれたし、コンバットも毎週見た。「人間の条件」はあまりに悲惨で暗くて、好きじゃなかった。
 母からは戦時中の苦労話も山ほど聞かされたし、父も戦争や軍隊の話をしてくれた。父の話はおもしろおかしく演出してはあるものの、軍隊というものの暴力と残忍さの匂いが充分に感じられて、恐かった。
 が、戦争は全てお話でしかなかった。
 大学生のころは、日本はベトナム戦争のアメリカの後方支援に揺れていた。
 それでも、私には戦争は見えなかった。
 スタイリストをしてたころは、「カッコイイから」という理由だけで、アメ横から米軍払い下げのシャツや認識票まで探し出してきて、モデルに着せて悦に入った。
 撮影で行ったグァム島ではB29がガンガン飛び立つのを、プールサイドからバカ口開けてポカンと眺めていた。
 頭んなかは自分のことだけ。自分のノー天気が恥ずかしいということさえも、わからなかった。
 人間、見ようと思わないとなーんにも見えないものよね。
 ベトナム戦争なんて見事に対岸の火事で、どこか遠いところの出来事だった。

──親にできること
 マタニティーブルーという言葉を知っているだろうか。
 妊婦や新生児を持つ母親が陥る、一時的にちょっとフツーじゃない精神状態、不安症や抑鬱状態のことを言う。
 妊娠やお産に伴うホルモンの変化が原因らしいが、私はそれまで独りで生きてきた人間が、いきなり保護なしでは生きられない無力な赤ん坊と一心同体化されることで、人間のアイデンティティが狂ってしまうのではないかと思う。
 私にも経験がある。
 さんざん「あなたはもうお母さんなのよ、しっかりね」と人々に励まされた後、首も座らないふにゃふにゃした赤ん坊と二人きりになった時、「本当にこんなに小さな細い身体が、大きくなるんだろうか? こんなはかないものを本当に育てられるんだろうか?」と思うと、耐え難いような不安におそわれたものだ。
 底知れない不安に押しつぶされそうになりながら、それでも「なんとか、この子が無事に育って欲しい」と思う気持ちは、もうほとんど「祈り」に近い。
 明るい昼間に小さな手足を見ながら不安に押しつぶされ、夜は夜で核戦争後の廃虚の中で赤ん坊を腕に抱いて独りぽっちで途方に暮れている夢を見ては、ぐっしょり汗をかいて目を覚ました。
 後になって考えても、あれはなんとも健康な精神状態ではなかった。
 そんな不安定な時期も、子どもの日々の成長や幼い子どもを育てる忙しさにいつしか紛れて通り過ぎていったが、「子どもを育てる」ということは心のどこかに、あの不安と祈りを抱えてしまうことでもあった。
 病気の子どもを残して仕事に出かけるときに、子どもの高い熱が下がらない夜中に、ケガをして頭を打ったときに……いくど、払っても払っても逃れられない、自制の効かないようなあの不安と祈りを味わったことだろう。
 そんなとき、「親って哀しい」とつくづく思う。
 そんな思いを知ってからだ。私に、それまで見えなかった戦争が見え始めたのは。
 まず、子どもに食べさせる食べ物の汚染が気になった。
 農薬と添加物を知ると、流通と経済が見えた。それから環境汚染と原発が気になった。原発からはもろに政治が見えた。教育がとても気になった。教育からは、管理と政治と戦争の影まで見えた。
 「子どもを持つ親」というただ一点で、見ようと思えば学校の中にでも戦争の影は見えたのだ。
 えらいことだと思った。
 どうしても、「戦争のことをもっと知らねばならない」と心の底から思った。戦うには、まず敵のことを知らなくてはどうしようもないもの。
 さし当たって、日本がなぜ私の親たちを巻き込んだ前の戦争に入っていってしまったのか。それから私の知っているベトナム戦争のあたりから入っていった。
 歴史も偉人も戦争論もどーでもいい、私の唯一つの戦争への興味は「子どもを戦争にやらないためには、何が出来るか」ということだけだったから、太平洋戦争とベトナム戦争だけでもー充分だった。
 本と映画とビデオと、それからインタビューアーという仕事もしてたので、人に会えることはラッキーだった。カンボジアの難民にもベトナム帰還兵にも会った。
 ベトナム帰還兵に会ったときのことだ。
 戦争体験の辛い真実やシンドイ話なんて、簡単に人に話せるものではないだろうとは思いながらも、「なぜ戦争へ行ったの? 他の道はなかったの?」としつこく食い下がる私に、それでも彼はイヤな顔もせず当たり障りのない答を答え続けた。
「お父さんもお祖父さんも戦争へ行った。僕も男の子だったから」
「町中が、ハイスクール中が『ベトナムで戦おう』って、そんな時代だった」
「僕は、それほどダウンズ(という言葉を使った)の現場には行かなかった、後方の仕事だったからね」
 3時間ばかりのインタビューを3回ほど行った後、最後に私が「話しにくいことをしつこく聞いてごめんなさい。でも、私には幼い男の子どもがいて、私は彼をどうしても戦争に行かせたくない。それで、私はあなたに戦争に行ったわけを聞きたださずにはいられなかった」と言うと、彼はじっと考えてから言った。
「子どもが戦争に行くのは、たぶん親には止められないことだと思う。親が出来るのは、彼が(戦争を)考える力をつけてやることだけだよ」
 あの言葉は忘れられない。

──なぜ、人を殺してはいけないのか
 子どもも中学生ぐらいになると、そんな私を「あんたの原発反対や戦争反対は、理論というよりヒステリーに近いね」とか、「いるんだよネ、母さんみたいなの、中途半端な腐れ左翼みたいのが」と、いっちょまえの憎まれ口をたたくようになる。
 そう言われてみると自分でもなんかそんな気がして、「別の角度からも戦争を考えてみないといけないかな」などとも思う。
 で、ガンバって「朝まで生TV」で右翼の人が話しているのを聞いたり、小林よしのりの戦争論も読んだけど……「まー、アホくさ」とか、「こいつ、バカか」と思うようなヤツばっかり。
 私の、この「親に日本もアメリカもベトナムもあるものか。子どもを育てるものの哀しみや祈りはみんな同じだ。愛国心もへったくれもあるもんかい」という、ヒステリックな戦争論を越える意見にも本にも、まだいまだに出会ってはおりませんわね。フン、「おとといおいで」だわよ。
 話は変わるが、サカキバラ事件の後で様々なTV局がディスカッションの特番を組んだが、その中で一人の若者がまっすぐに大人を見て「なぜ、人を殺してはいけないのか?」と、質問したことがあった。
 見ていた私も、思わず目が点になった。番組の中の大人達もとっさのことに、ろくに答えられなかったように思う。
 このあまりに素朴でシンプルな問いに、能書きやきれいごと抜きに大人はなんて答えられるだろう? イジメや自殺でいっぱいの世の中で。戦争や地雷だらけの世界で。
 その後、この「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いはマスコミの中を独り歩きし、様々な人々が色々なことを言ったり書いたりしたが、私もこの問いにはずっと引っかかっていた。
 バイクで死んだ若者のことを考えていたときに、「生きていたらぶん殴ってやりたい」と言ったIの父さんの話を聞いたときに、それから、ベトナムで死んだ平均年齢が19才の若者たちのことを考えていたときに……ふいにこの問いの答えが、はっきりとわかった。
 私はあの若者を正面からまっすぐに見て、大きな声で言ってやりたい。
「人は殺されてはいけないからだよ」
 バイクに殺されてはいけない。病気に殺されてもいけない。ましてや敵の兵士からも、味方の兵士の誤爆からも、ピンポイント攻撃からも地雷からも……絶対に殺されてはいけない。だから、人を殺してもいけない。
 これは親の論理だ。やみくもでエゴイスティックでむちゃくちゃな、育てるものの論理だ。
 だけど、この論理は誰がなんと言っても「有り」なのだ。

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