タイトル

連載 ファッションの風影/第10回(2002年1月号掲載)
いつも普段着でいたいなあ
宮谷史子 ファッションライター

 最近、私の住んでいる小さな町は、突然「京王線のカルチェラタン」目指したのか……ここ数年で伊勢丹にユニクロにスターバックス、画廊に紅茶専門店にイタ飯屋、バーミヤンもクアハウスみたいなスーパー銭湯も出来た。ショットバーやオシャレな花屋やカフェテラスも、もちろんできた。
 そうなると、各駅しか止まらなかった駅に快速が止まり、甲州街道からの大きな引き込み道路ができ、街が変貌し始める。しかしおもしろいのは、もともと畑と住宅と学校だけだったこの街は、どんなにカフェテラスや広い道路で気取ろうと、どうしようもなく普段着の街なのね。
 カフェテラスでは、スーパーの袋を横にオバサンがコーヒーで一服してる。隣で茶髪の少女たちが宿題やってる。そのまた隣では、オヤジが競馬新聞に首突っ込んでたりする。
 絶対に、よそいきの町にはなり得ない。
 普段着の街で普段着屋のユニクロのぞきながら、普段着とよそいきについて考えた。

──「よそいきとフォーマル」
 今はずいぶんそういう区別がなくなったが、かってはワードローブの中に、歴然と「普段着」と「よそいき」があった。
 私が子供のころは、普段着は木綿のブラウスとスカートに運動靴。よそいきは白いボイル地のフワフワのワンピースと、ひも付きの黒い革靴がきまりだった。
 というのは大嘘で、よそいきはその年に作った身体に合った、比較的色あせてないツギハギもかぎ裂きもないワンピース。
 普段着は、去年の洗濯しすぎて色あせた寸足らずの(なにしろ毎年背が伸びる)ワンピース。靴は普段着もよそいきも常に運動靴。ついでによそだろうがどこだろうが、出かける時はいつも帽子といえばそれしかない、校章付きの学校の帽子をかぶせられていた。
 白いフワフワのワンピースとひも付きの黒い革靴は子供の頃の私の憧れで、学校に一人か二人くらいお誕生会などの行事に、そんな「よそいき」を着てくる女の子がいて、うらやましかったものだ。
 高度経済成長前で、圧倒的にモノのない時代だった。
 今は普段着とよそいきというより、カジュアルとフォーマルと言ったほうがピッタリくるだろう。
 しかし、「普段着とよそいき」と「カジュアルとフォーマル」は、ちょっと違う。
 カジュアルと普段着は、ほぼ同じ意味。
 ところが、フォーマルとよそいきが違う。
 フォーマルとは「正式の」「形式にかなった」といった意味で、セレモニー(式典)とか冠婚葬祭とか、少し格式の高いパーティー(ホームパーティーじゃなくて)なんかで着る服のことをいう。
 ところが「よそいき」っていうのは、特定の場や人々や時間帯に対してではなくて、漠然と「よそ」向いてんのよ。
 じゃ、「よそ」ってなんだろう?
 おそらくは「家の外」って感じなんだろうけど……結婚式やパーティーもよそなら、PTAも職場もよそだし、駅前のスーパーも隣の家だってよそになり得る。
 この「よそ」は、すごく観念的で意味合いが広い。おそらくは、世間とか世間体といった言葉とかなりリンクするのだろう。
 普段着の普段を「気取らない」とか「飾らない」とか、あるいは「ありのままの」と考えると、「よそ」の意味合いはもっとくっきりとしてくる。
 私、このよそいきの「よそ」には、なんとなく「見栄」の匂いを感じてしょうがない。
 というのも私、着ることのなかの「見栄」にやたら神経質になってしまうとこがある。着る物には、衣には、どうしようもなく「見栄」や「虚栄」が入り込む。ついて回る。
 それを人一倍知っている私はファッションを考えるとき常に、服に、自分の眼に、見栄や虚栄を検証せずにはいられない癖がある。

──「晴れ着の着こなし」
 例えば「ハレとケ」の、晴れ着。
 成人式、卒業式、謝恩会、結婚式、七五三、季節ごとに街に晴れ着が溢れるのを見ていると、「日本人って、本当にハレ好きだなあ」と、いつも思う。
 みんな、お金かけてがんばって「ハレ」やってるものねえ。
 例えば結婚式なんかも、地味婚なんて言葉が市民権を得る一方、何百万もホテルや式場に払い込む結婚式も少しもすたれない。成人式や卒業式や謝恩会の晴れ着にしても、レンタルとはいえ頭からつま先からヘアメイクまで入れたら、軽く十万越す大仕事だ。
 先日なんて、TVでホテル借り切って七五三の披露宴やってるの見て、「そこまでやるか」と、泡吹きそうになってしまった。
 しかし私は、街で晴れ着姿見るたびに結婚式場で花嫁見るたびに、どうしても「みんなガンバってるわりには、晴れ下手だなあ」と、思わずにはいられない。
 晴れ着姿というのはどうしてああみんな、一様にワンパターンになってしまうのだろう。なかなか「その人らしくステキ」というふうには、仕上がらないもののようだ。
 例えば成人式や卒業式の晴れ姿にしても、おそらく「おこしらえ」を造り上げる前の、渋谷や原宿歩いてた普段着の彼女たちのほうが、よほど個性的で生き生きしてるだろうと思うのだ。
 結婚式の花嫁なんかも、そう。大きな結婚式場なんかでは、打ち掛けなど着せられると「花婿は、自分のお嫁さん間違えないかしら?」と心配しちゃうぐらい、みーんな同じワンパターンの印象になってしまう。
 せっかく大枚はたいて「ハレ」やるんだったら、もう少しその人らしい個性的な晴れ着姿をやれないものかしら。「みーんな同じ」では、いかにももったいない。
 あれファッション的に言うと、「着慣れない」「知らない」服だから、着こなせないの。ついでに、馴れない場で緊張して着るものだから、そうでなくても大げさなお衣装に「着られてしまう」の。着こなすんじゃなくて。
 だから同じ「晴れ着」でも、祭り装束で御神輿担いでる女の子なんかの、なんて生き生きとチャーミングなこと。
 あれは、彼女たちのよく知っている、着慣れた「晴れ着」なのね。それを、いつもの自分の場で着てる。そのゆとりが、あんな個性的な祭り装束という衣装を、堂々と着こなしてしまうのね。
 つまり、あれは普段の延長の、足が地に着いた「晴れ着」なの。
 この「足が地に着く」って、ファッションではものすごく大切なことなのだ。
 足が地に着いてない晴れ着には、なぜか見栄の匂いが忍び込んでくるものだ。
 「ハレ」と「見栄っ張り」とは、紙一重。
 がんばって「ハレ」やるなら、ワンパターンでない「いかにもその人らしい」ステキなハレやって欲しいし、紙一重の見栄に付け込まれてレンタル屋だの結婚式場だのに、必要以上に大儲けさせることもないと思うのよ。
 まあ「晴れ着」に限らず、なぜあんなに人々が「ハレ」に力を入れ、金をかけるのか、私は不思議でたまらないほうの人間ではある。
 だって人間の生きる時間なんて、圧倒的に「ハレ」より「ケ」のほうが長いのだ。
 それと私自身、何によらず晴れ晴れしいのが好きでないってこともあるんだけど、例えどんな場でだって、いつも「ありのまま」の自分でいたいという思いも強い。
 別に大金をはたかなくたって、「いつもの服をフォーマルに見せる方法」とか、「普段着をパーティー着にスイッチするテク」とか、いくらでもあるんだから。
 そして実際、ちょっとしたテクニックで普段の着慣れた服を「ハレ」に演出するほうが、ずっと足が地に着いたステキな「晴れの装い」になったりするものなのだ。

──「ユニクロの快進撃」
 そんな私は、ここ数年のユニクロの快進撃には、実は心からほっとしてるとこがある。だって、ユニクロって徹底的に「ケ」の服。あそこには、見栄なんて入り込むスキもない、もう完璧な普段着しか売ってない。
 ユニクロの快進撃は普段着の快進撃だ。
 もともと洋服くらい、わけのわかんない付加価値がくっついてる商品って、他にない。
 服なんて、気持ちの楽しみや遊び心を考えたって、本来は生活の中の消耗品にすぎない。
 それを、人の見栄や虚栄に付け込んで法外なブランド料金をかけて売りつけて……それをまた、みんな買うんだよねえ。
 私は、正直しみじみそう思ってる。
 だから、ユニクロのあの値段。あの素っ気ないまでのシンプルさ。ジェンダーに媚びないユニセックスぶりには、心から拍手を送らずにはいられない。
 値段が安いから、誰でも買える。
 シンプルだから、どんな風にも着る者の着こなしやイマジネーションに染まれる。
 ユニセックスで性別を誇張しない服の原型だから、男女の体型の形の違いをカバーするだけでなく、男女を問わず年齢による体型の変化にまで、幅広く対応できる。
 現に私の町のユニクロなんて、さすがに土日は若者と家族連れで賑わってるが、平日なんて中年だの初老だの杖ついたご老人だのが、けっこう多い。
 ユニクロの服って、生活の消耗品である道具として、「衣の原点」みたいな服だなあ。
 これだけ服が溢れかえっている世の中だけど、「衣をあそこまでぎりぎりにシンプルに生活の道具に落とし込む」という発想は、ファッションの中の意外な盲点だったのね。
 一方では、今や日本は高級ブランドにとっては最高にオイシイお客様。この不況だというのに、高級ブランドは都心の一等地に軒並みに自社ビルをバンバン建てている。
 自社ビルが建ったニュース聞くたびに、私は秘かに「日本人だって、見栄っ張りなばかりじゃないんだゾ。ユニクロだってあんなに売れてんだからね。バカばっかりだと思うなよ エルメスめ ディオールめ マックスマーラめ」と、つぶやいている。

──「普段着の街で」
 ところで私の街のユニクロでは、ジョギング姿のおじいさんがフリースひっくり返している。杖ついたお婆ちゃまが、娘らしい中年の女の人とセーター選んでる。初老のカップルが、「ほらパパ、今年はこんな色が流行るのよ」「ほう、そうかい」なんて、仲良くシャツをひやかしてたりする。
 で、しょっちゅうユニクロ、ウォッチングしている普段着好きの私は、
「さすがこの値段。中国の人件費は日本の二十分の一だっていうものねえ。一昔前までは中国製って、色落ちはするわ、縫製は雑だわ、粗悪品の代名詞だったのにネ。ユニクロのせいか、中国の縫製技術も格段にレベルアップしたものよねえ」
などと、フリースだのエアテックのジャケットだの、いじくりまわしたりしてる。
 で、何か買うかっていうと、なーんにも買わないのよ。
 「だってさあ、今さらユニクロなんて アタシはこれでもファッションの人なんだからね。いっくら普段着ったって、せめて『無印』とか『アニエスB』ぐらいのグレードは欲しいわけ」なーんちゃって……。
 おー、おー、見栄張っちゃって
 なんとご立派な、見栄っ張りぶり

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