タイトル

連載 ファッションの風影/第12回(2002年月号掲載)
ふたりのヒッピー、その死
宮谷史子 ファッションライター

 人生にはこんなこともあるのだなあ……私は正月早々、1週間のうちに2人の同世代の死に出会ってしまった。

 2つの「送り」に行った。

 ひとりは高校の同級生。海辺の小さな町で工芸やオブジェを造りながら暮らしてた、ヒッピーみたいな男。

 ひとりは親友のパートナー。東京近郊の小都市に住む公務員。警視庁の犯罪研究所で働く、研究者だった。

 ヒッピーは3回結婚して、別々の奥さんにそれぞれ子どもがいた。3回目の奥さんの連れ子も合わせて、5人の子どもたちを全て育て上げた。

 警視庁は大学を出て就職が決まるとすぐ、中学の時から好きだった女の子と結婚して子どもを2人持ち、生涯その結婚を守った。

 ヒッピーは、南米や田舎や山で暮らしたりしながら、様々な仕事をした。レストラン、お百姓、トラックの運転手、海辺の町でおしゃれなジャズバーも持った。テナーサックスを吹かせたら玄人はだしで、片時もサックスを放さず、生涯音楽から離れなかった。友達が大勢いた。

 警視庁は、生まれた実家の側に結婚して自分の家を建て、一生をその東京近郊の小都市で暮らした。生涯ひとつの仕事をした。山男で、仲間と小さな山の家も持っていた。日本の山、外国の山、暇さえあれば山に行っていた。生涯山から離れなかった。友達が大勢いた。

──海辺のヒッピー

「ハーイ元気かい オレ? オレァ絶好調よ、バリバリよ

 明るい声とはじけるような笑顔の、元気のかたまりのような海辺のヒッピーは、自らの命を絶った。

 秋に死を決め、親しい友人達にありがとうの手紙を書いた。暮れに友人達にワインや本、自分の作品、ストーブ用の薪一山といった心づくしのプレゼントをした。新年にみんなに「おめでとう、今年もよろしく」の電話をかけ……次の朝、独りで逝った。

 海辺の町のどん底の不景気のせいでも、仲がいい3番目の妻に去年先立たれたせいでも、思わしくない健康のせいでもなかった。あるいはその全てだったかもしれない。彼の死の原因は、今も誰にもわからない。

 海の町の古いけど手入れの行き届いた彼の家で、彼は静かに眠っていた。

 通夜も葬式もなかった。坊主も読経も牧師も賛美歌もなかった。

 あったのは、たくさんの木や竹や石を使った彼の作品と、たくさんの花と、低く流れるジャズと、家に入りきれずに道ばたにたむろするたくさんの友人達だった。誰も、黒い服なんて着ていなかった。

 朝から夜中まで、線香をあげに来る友人たちが途切れなかった。

 泊まり込んで家族の世話をしているのも、焼き場の手配をするのも、人の応対をするのも、花を飾るのも、炊き出しをするのも、遺影を徹夜で作ってきたのも、骨壺を焼いてきたのも……全部、友人達だった。

 5人の子どもたちが、互いに「姉ちゃん」「T」「Aくん」と呼び合いながら、仲良く泣いたり励ましたり叱ったりしながら、立ち働いていた。

 1番目の妻と2番目の妻がいっしょに東京から駆けつけた。2人は片時も離れずに肩を抱き合い、いっしょの宿を取った。

 出棺のときに泣き出した2番目の妻を1番目の妻が、「泣いちゃダメ 昨日の夜約束したじゃないの。泣いて彼が喜ぶと思うの。泣かない ほらハンカチ、1枚で足りなきゃ、ほら2枚」と、叱っていた。

 息子に先立たれた年老いた父親は、それでも「なにもかも、あなたたちにやってもらってしまって」と、彼の友人達に何度も何度も何度も感謝の気持ちを伝えていた。

 そして「嫁達は、みんな私の娘です。子どもたちは、みんな私の孫です」と言った。

 葬列は長かった。海の町の外れの小さな火葬場に、ありとあらゆる車が次々と走り込んできた。駐車場はいっぱいになったが、それでも車は次々と走り込んできた。

 彼の骨を拾う列は火葬場の入り口で折れ曲がり、さらに横にずーっと延びた。

 あんなにも暖かい「人の送り」を、私は見たことがなかった。とても悲しい場なのに、そこには優しさと暖かさが満ちあふれていた。

 彼がどんなに人に愛されていたか。彼の立ったところに、どんなに暖かい人と、嘘のない愛が集まっていたのか……しみじみと気づかされた。

 「人の立ち方」って、あるんだなあ……と、彼を思った。

──警視庁勤務、公務員

 海の町から帰った3日後に、私の大学時代からの大切な友人から電話があった。

 彼女のパートナーは、2年前に手術した癌が再発した様子でとても大変そうなので、私のほうから電話するのは控えていたのだ。

 彼女からの電話は案の定、訃報だった。

「昨日亡くなったの。お通夜も葬式もしないの。あさって、私が焼き場に連れて行きます。1ヶ月たつまでは、人にも知らせないつもり。でも、あなたにだけは知らせておこうと思って」

 次の日、東京近郊の小都市にある彼女の家へ花を持っていった。

 1週間のうちに2つの死に出会う偶然に、さすがに神経がバクバクしてしまい、冷や汗びっしょりの最悪の気分だった。

 ろうそくが灯る花でいっぱいの明るいリビングルームで、彼は静かに眠っていた。祭壇も読経も線香の盆さえもなかった。

 家族も友人も誰も黒い服なんて着てなかった。いつも通りのジーンズ。セーター。

「通夜や葬式みたいなグショグショしたことで、生きてる人間の時間をつぶすのはイヤだって。ひと月たったら飲み会やって、そこで始めて自分の死を人に知らせて欲しいって……彼の意志なの。葬儀屋さんがね、なーんにもやることないって、困りきって帰っちゃった

 彼女はそう言うと、泣きながら可笑しそうに笑った。私も、思わず笑った。

 誰にも知らせなくても、聞きつけた人がどんなにたくさん駆けつけたかは、リビングルームに入りきれないほどの花の多さで、よくわかった。

「全部、医者と彼と私とで決めたの。病気の治療方法も、延命はいっさいしないことも、最後は薬で眠りながら逝くことも。
 自分が不治の病と知ったって、来週は手術だっていったって、『騒いだってしょうがない』って山行っちゃうような人だから、淡々としたもんなの。
 几帳面なこの人らしく、あと1ヶ月、あと1週間ってカレンダー見ながらネ。仕事全部かたずけて、自分の葬式の方法も決めて、みんなと話して。最後の最後まで冗談言って私を笑わせておいて、『じゃあそろそろ、もういいだろう』って、自分で逝くことを決めて眠ったの。
 さっきまで冗談言って笑ってた人が、眠ったとたんに今のあの顔になったの。あの顔を見たら、ああこんなに辛かったんだ、辛いのにがんばってたんだと思ったら、私、もっと早く眠らせてあげればよかったって……それを、今、少し後悔してる。
 でも私、最後に病院の豪華な特別室で彼と素晴らしいハネムーンやったのよ。1ヶ月もよ どう、うらやましいでしょ

 彼女はまた泣きながら笑って、いばって胸をはった。「うらやましい」とひがんで、私も笑った。

「1ヶ月後の飲み会の時に、彼ね、陶芸をやってる娘に宿題を出したの。来た人みんなに杯を1個づつ渡して欲しいって。『知らせてもいないのにこんなに花がくるのに、お母さん、私いったい何十個杯を造ればいいの?』って、娘が今から悲鳴あげてる」

 彼女がまた笑った。私も笑った。

 不思議なことだった。

 さっきまで神経バクバクだった私が、彼女から落ちつきと元気をもらっていた。

 彼の眠る場には、大きな悲しみの中に静かな強さや暖かさが確かにあった。残された彼女も子どもたちも悲しみの中で、きっちりと前を向いているのが、よくわかった。

 通夜も葬式も拒んだこの男は、そう言えば結婚式もあげなかったなあ。

 妻が嘆くほどぶっきらぼうなくせに、お堅い警視庁という仕事なのに、山男たちはむろんのこと、ミュージシャン、無農薬の八百屋、染織家、整体師、ありとあらゆる種類の友人たちがたくさんいたなあ。

 しかしまた、この人の立ち方のなんというシンプルさ。潔さだろう。この人の立ち方にもまた、みじんも嘘がなかったのだ。
  
──ふたりのヒッピー

 ヒッピーと警視庁……一見まったく対照的な人生を送ったふたりだが、「なんとよく似たふたりだろう」という思いが、私にはどうしてもぬぐえなかった。

 それは、たまたま偶然に1週間のうちに同時に見た死だから、というだけでは絶対に説明のつかない「思い」だった。

 どちらの死にも、通夜も葬式もなかった。坊主も読経も焼香も祭壇も、牧師も賛美歌もなかった。黒服の親族や弔問客や、香典や受付や手伝いや、葬儀屋もいなかった。

 あったのは、たくさんの花と、家族と、たくさんの友人達だけだった。

 あったのは、たくさんの人たちが無言で語る、静かな「愛してる」という言葉だった。

 そして、たくさんの人たちが「愛してる」を語る場は、痛いほど悲しいのに静かに人を前に向かせる不思議な力強さと、暖かいエネルギーに満ちていた。

 悲しい知らせを聞いただけで、ふたりの死を終わりにしてしまっていたら、私はもっと鬱々としていただろう。ほんとに妙なことだが、私は出かけていって彼らの死に立ち会って、静かな力強いもので癒され、勇気や元気さえもらったのだ。

 なんと不思議なことだろう。

 そんなことをしきりに考えているうちに、ふと「ふたりとも、ヒッピーだったのだ」ということに、思い当たった。

 「ヒッピー」という言葉のなかに込めた、私たちの世代の懐かしい「想い入れ」が、ありありとよみがえった。

 「ヒッピー」はファッションなんかではなく、自由に生きたり、正直に生きたり、愛し合ったり……人間が生きる時の、「ステキな想い」のこもった言葉だった。

 そして私たちはまた、本気でヒッピーを夢見た世代だったのだ。

 海辺のヒッピーも警視庁も、よけいな人にもモノにも縛られず、人を精一杯愛し、自分に正直に、自由に生きたのだ。

 そうか、二人とも「ホンモノのヒッピー」だったんだ

──シンクロニシティ

 あれからずっと、私の人生に起こった二人のヒッピーの死という、シンクロニシティのことを考えている。

 シンクロニシティとは、共時性とか、重なる偶然をいうユング心理学の言葉だ。「重なる偶然には、偶然に思えても、本当は隠れた必然の意味がある」という。

 あれから、「人間の立ち方」や、「死に様イコール生き様」ということを、しきりに考えてしまう。

 そしてこのごろ少しずつ、私はもしかしたら二人のヒッピーから、もの凄く大きなエールをもらったのではないか?という思いが、どんどん強くなってくるのだ。

 不思議な暖かい一陣の風と共に、嘘のない人間の立ち方。人を愛すること。自由に生きること。優しさ。強さ……2人のヒッピーから、大きな「生きる」ためのプレゼントをもらったような気がして、ならないのだ。

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