タイトル

連載 今という時代に/第回(2002年月号掲載)
真夜中のファミレスで
宮谷史子 ファッションライター

 ここ、3年連続で年間の自殺者は3万人を越えるという。交通事故死より癌死より、圧倒的に自殺死が多いのだ。そして自殺者の6割が、働き盛りの中高年だという。自殺遺児のことが社会問題になってきている……なんという社会だろう、と思う。

 私たちもとうとう仲間のなかから、そのすさまじい中高年自殺の統計を引き揚げる一人を、出してしまった。

 真夜中のファミレスで、同級生だった3人の団塊世代の男たちと話し込んだ。

──友人の死

「わからないなあ。人が一人死ぬって、絶対にそんなに簡単なことじゃないぜ。
 オレの事務所にいた後輩のTな、知ってるだろう、3年前に癌で死んだ奴。ほんとにいい男だった。
 あいつが最後の時、見舞いにいくとベッドの脇に丸く巻いた布団が置いてあった。痛みがきたときに、それに抱きついてしのぐためだ。
 そうやって巻いた布団に抱きついて、それでも最後の最後までTは生きようとした。最後までな。
 オレ人間って、最後の最後まで生きようとするものだと思うぜ。自分のこと考えたってなあ、オレだって、巻いた布団に抱きついてでも生きようとするぜ。それが、人間の本能ってもんじゃないか。オレ、そう思う。
 それなのに、なぜアイツは自分から死んでしまったんだ?」

 Hが言った。

「わからんなあ。いくら中高年の自殺が、リストラや不況や再就職の困難さのせいだったって、モノ作って食ってたヤツだぜ。不況はともかく、リストラも再就職もとんと関係ないヤツだった」

 Oが言うと、死んだ友人と一番仲がよかったKが口を開いた。

「ああ、わからないんだ。どうにも納得がいかないことが多すぎるんだ。
 アイツ、ここのところ仕事がうまく回り始めていたんだよ。なにより作品が良くなっていてなあ、地方からも注文が来るようになってたんだぜ。男ってさあ、仕事がうまくいってる時って、だいたいのことはガマンできるものなんだけどなあ」

 男二人が深々とうなづく。Kが続ける。

「で、持病の糖尿だってな、一時は医者がさじ投げるほどひどかったのが、医者もびっくりするほど血糖値が下がって健康になってたんだよ。ほとんど、元気といってもいいぐらいだ。健康が死んだ理由じゃないことだけは、確かなんだ。
 去年、女房に先立たれてるけど、確かにアイツら夫婦は仲が良かったけど……女房に先立たれたくらいで、男が死ぬもんかよ

「でもさあ、去年奥さんに先立たれてから、あの人のリズムがいろいろ狂いだしたことは、確かなんじゃないの? 私、葬式の場で『アイツ奥さんに会うには、こうするしか方法がなかったんだなあ』って言ってる人の声、聞いたよ」
と言った私に、半ばせせら笑うようにKがピシャリと言う。

「それは絶対に違う そんなのは、アイツの死を美化する『きれいごと』に過ぎない。
 死んだヤツを汚すようなことを言うつもりはないが、男ってそんなもんじゃない。
 オレんなかにもたっぷりある。男って、もっとドロドロとしたいやらしい生き物だ。極端なこと言えば、女房の葬式の席でも、頭ん中では次の女のこと考えてる……男って、そんなもんだ」

 OとHが、黙って何度もうなずく。

「Kの言うとおりだよ。
 そして、アイツは確かにそういう意味では『女なしでは生きていけない』ってとこ、あったよなあ」
と、少し遠い目をしてOが言う。

「アイツに限らない、オレだってそうだ。オレは自分がそうだから、アイツのそれがよく見えた。
 アイツは、ああいう嘘のない自分に正直な男だったから、それを少しもごまかさなかった。きちんと正面から、そういう自分の姿を見ていたさ。それは、長くつき合ってたオレにはよくわかる」
と、K。

──男と女

「男のドロドロしたいやらしいものって、『女がいなけりゃ生きていけない』って、それは男のセックスとか性のことを言ってるわけ?」
と、私が聞く。

「セックス? 性?……もちろん、セックスとか性でもある。もっとも50を過ぎた糖尿病が持病の男に、果たしてセックスが出来たかどうかはわからんが。
 でも、セックスするしないだけの問題じゃなくてな。男の本能というか、心というか、存在というか、もっと広い意味でのセックスや性というか……そういうところで、アイツにはどうしても女が必要だったってことだ」

 考えながらKが言う。

「でも、それってさあ、セックスや性とは言っても、『あいつは女遊びが激しくて』とか『東南アジアで女買って』とか、そういうレベルのセックスや性とは全然次元が違うセックスや性の話よ」

 私が言う。

「女という存在がどうしても必要な男だった……というべきかな。『男と女』という人間関係が絶対必要な男だったって……ことかな」
と、また考え考えKが言う。

「しかしさあ、そういう互いの存在までかかわるような、セックスや性も含めた男と女の人間関係って……ある意味で、すごく上質でぜいたくな『男と女』の関係よ。そんな男と女の関係なんて、そうそう簡単に見つかるわけがないんじゃないの?」

「だから、さっきから言ってるだろうが。例えば『女房の葬式の席でも、なりふりかまわず探す』って。それが男だって」

「なりふりかまわず探したって、すぐ見つかるようなもんじゃないわよ。そんなもの」

「探すさ 見つけるさ
 それが生きるために絶対に必要なものだとしたら、なりふりかまわず必死になって、どんなに人からひんしゅく買ったって、絶対に探すさ
 だって、アイツもオレもそうやって生きてきた男なんだもの」

 Kと私のやりとりを聞いていたHが、静かにきっぱりと言った。

「そうだ。女房が死んだ後、アイツは必ず次の女を探していたはずだ

──生きる力

「見つけられなかったんだろうか?
 K、おまえヤツの死んだ後始末もやってきたんだろう。アイツは、やっぱり次の女を見つけられなかったのか?」

 OがKに尋ねる。

「もし、見つかっていたらなあ……秋口からずっと、生と死の間で揺れていたアイツの心を、もう一度こちら側に揺り戻せたろうになあ。
 もし見つかっていたら、アイツはあっち側に振れずに、すんだろうになあ」

 Hが痛ましそうにつぶやく。

「もし、いい『男と女』の関係があったら、それが生きるための大きな力になっただろうことは……絶対に確かだよね。それは男も女も同じだよ。人間って、そういうもんだと思うなあ。
 もしその人が、いい恋愛や性愛の関係を持ってたら、例えば凄い困難に出会ってもさ、きっと死の方向には向かないような気がするなあ。いい性って、絶対に人を生きる方向に向かせるよねえ。必ず、生きる力になるはずだよねえ」

 私は、そんな気がする。

「そうなんだよ
 オレ、アイツの死の後始末をしてて、アイツが必死で次の女を探していたことがよくわかった。おそらく、必死になって探して、探して、探して、あがいてたんだろう。待てなかったのか。焦ってしまったのかもしらん」
と、やり切れなそうにKが言う。

「必死に探して……見つけきらなかった。その闇の深さは、アイツには暗かったろうなあ。その闇の暗さは、アイツを殺すかもしれないなあ。その闇のなかで、アイツはあがいていたんだろうか?」
と、暗い目をしてHが言う。

「そうだったとしたら……なんて痛ましい話だろう。きつい話ねえ」

「ああ、きつい話だ。
 オレなあ、今度のことを考えてると、アイツのこと考えてると……『男ってなんて淋しがりやなんだろう』って、なんかそんな気がしてならないのよ」

 Kがぽつりと言うと、HとOが黙ってうなづいた。

──様々なかたち

 時計がとうに深夜を回った別れぎわ、あわただしく互いの近況報告になる。

 8年ほど前に離婚して2年前に次の結婚をしたOは、2回目の結婚の中で最近子供が生まれた。そうこうをくずして懐から赤ん坊の写真を取り出す。

「さすがのオレも、子供たちに『子供が出来た』って言うのは、恥ずかしかったなあ。だって、長女なんてもう27だもの」

 彼は2回目の結婚のなかで、「男と女」をやっている。

 Hの妻は、2年前に乳癌の手術をした。

「オレも家は寝に帰るだけの、ろくに会話もない夫婦だった。でもオレ女房が癌と知ったとき、『この女がいなくなったオレ』ってのを、始めて本気で考えた。そうしたら『この女のいないオレ』が、どうしても考えられなかったのよ。それに気がついた時、オレは女房のために戦おうって心から思った」

 そしてHは本を読み医者に聞き癌を勉強し、妻と共に癌と戦っている。戦いは順調のようだ。

 Hは一度は疲弊した結婚のなかから、再び「男と女」の関係を蘇生させた。今も続く結婚生活のなかで、よみがえった「男と女」をやっている。

「ところで、Kのところはどうなんだ? うまくいってるのか? Yは元気かい?」

「おお、うまくいってるよ。
 Yも元気だ、今ごろはおそらくパソコンの前で引きつってるだろうよ。デザイナーってのも、締め切り商売だからなあ」

 YはKの妻ではない。Kは結婚はそのままに、婚外にパートナーがいる。5年ほど前から家族と別居して独り暮らしをしながら、そのパートナーと「男と女」をやっている。

──歩き始めた世代

 男と女かあ。

 生きる力かあ。

 そうかもしれないなあ。

 中高年の自殺って言ったって、リストラや不況に倒産に借金って言ったって……「生きる力」さえあれば、そこからやり直すことだって出来るんだものねえ。そこで、死なない人間だっていっぱいいるんだもんねえ。

 それにしても、中高年といわれる年代のいったいどれぐらいの人々が、「生きる力になる男と女の関係」なんてものを、果たして持っていることだろう。

 40代50代なんて、子育てという役割も終わり、「結婚という男と女の形」の大多数が、そろそろ形骸化したり疲弊しきっててしまう年代でもある。

 しかし、それにしてもこの男たちはどいつもこいつも、けっこうしたたかに「男と女」やってるもんだわ

 でもそう言えば、この男たちに限らず私のまわりの女たちを見まわしても、離婚や再婚を問わず婚内や婚外を問わず、「男と女」という形がまたなんと多様になってきたことだろうと思う。

 私たちの世代は、ようやっと「家制度」とか「世間の体面」のためではなく。「父や母」とか「夫や妻」といった役割のためでもなく。また「家庭」や「家族」という幻想のためでもなく。自分自身のために、「男と女という生きる力」を見すえて、歩き始めた最初の世代なのかもしれない。

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