タイトル

連載 今という時代に/第回(2002年12月号掲載)
表情ということ
宮谷史子 ファッションライター

 このごろ、「人の顔」というのが、改めておもしろいと思う。

 顔ぐらいその人自身がはっきり現れるものもない、そういう年齢になったということでもある。

 生まれ持った顔の造形の善し悪しなんかで、「美人だブスだ」と勝負できなくなった40代、50代って……私なんか、凄く気に入っている年代でもある。

──ああ、美女応援団

 最近、TVを見ていて度肝を抜かれたのが、アジア大会で大活躍した北朝鮮の「美女応援団」だった。

 みんな同じコスチュームと一昔前の化粧で、いっせいに同じ表情で(この同じ表情ってとこが凄い)ニッコリ笑いながら……踊りとも行進ともつかない風情で、揺れたり動いたり飛び跳ねたりしながら整列してた。

 本屋で平済みにされた雑誌の表紙が、いっせいに並んで動いているみたい

 な、な、なんなんだ、これは 私、あんな不気味な集団、およそいまだかつて見たことがなかった。

 この「美女応援団」って、こういう集団そのものが不気味なのではない。

 例えば、チアガールとかサーキットやモーターショーなんかのレースクイーンとか、きれいな女の子たちを集団で応援させたり場を盛り上げたりするのは、別にさほどヘンなことでもなくよくあることだ。

 チアガールの大会なんか見てると、そろいのコスチュームで一糸乱れぬ激しい動きやダンス、女の子を投げ上げたり受け止めたり……すごーい! カッコイイ! パチパチパチと、素直に拍手の一つもしたくなる。

 背の高い子、ちっちゃい子、とりわけ動きの切れのいい子、体型も笑顔も様々な女の子たちが一生懸命に激しい動きを合わせようとガンバっている姿は、健気で好感が持てる。

 よく見てると、投げ上げられるのは細くてちっちゃい子が多いし、受け止め役は太めでがっちりした子が多かったりと、ちゃんとその個性によって役割があるようだ。

 とにかく一見は集団なんだけど、一人一人の姿がはっきり見えていて、集団ってそういうものだと当然のように思ってた。

 レースクイーンなんてのも、女の子たちのああいう役割が好きか嫌いかは別としても、みんな同じヤバそうな格好でニコニコしてるが、あれはあれで別にさほど不気味でもない。

 笑顔がとびきり明るい子、グラマーでいかにも挑発的な子、見るからに性格の悪そうなの、やっぱり色んな子がいてそれぞれの個性が充分に感じられる。

 そろいのコスチュームの集団といっても、色んな子がいるのが当たり前だし、それが自然なことなのよね。

 で、この「色んな子がいる」っていう認識は、私たちが集団を見るときの絶対的な前提条件だったんだ……ということに、あの美女応援団見ていて始めて気がついた。

 「美女応援団」がああも不気味だったのは、この「色んな子がいる」という絶対的な前提条件が、見事に取っ払われていたからだ。

 色んな子が見えない集団。とにかく集団。そういう集団だったのよ。

 よく見れば少しずつ顔も違うのだが、一様に判で押したような同じ表情の笑顔。まるで「無個性」というお面をかぶったみたいな。

 だいたい笑顔といったって千差万別、様々な表情や癖や雰囲気あるものだ。口の開け方、目の細め方、顔の向き。それなのに、あれくらい同じ表情の「無個性の極み」みたいな笑顔って、始めて見た。それも集団で。

 無個性な集団が決まり切った表情でニッコリ笑えば笑うほど、それは一つの「笑い」という記号の押しつけがましいメッセージに見えてしまう。

 その人の個性や心の見えない人間の笑いって、私などけっこう「不安」や「不気味」を感じてしまうんだけど。

 だいたい、個人が見えないのに、メッセージだけ感じるっていうのは……感覚的にちよっと恐いものがあるよね。

 でも、これがまさに「マスゲームの国の笑い」なんだろうなあ。

──表情の力

 私は、そんなことを美女応援団に感じたけど……「追っかけ」やってる韓国の兄ちゃん達なんかもいたみたいだから、あれを、「可愛い」と感じる人たちもいるんだなあ。

 それにしても、美女の一人が「将軍様が、一人一人に口紅の色まで選んでくださいます」とか言ってたけど、あれには不気味通り越して正直気分が悪くなった。スケベオヤジが! メイクの初歩も知らんくせに。

 あの子たちは、ファッション的にも、「将軍様が一番センスが良くてファッショナブル」とでも、思ってるんだろうか?

 まっ、そういう問題ではないんだろうけど、ファッションなんていう個人的な皮膚感覚に近い、身体や着るもののことにまで「将軍様」が出てくるのには……どうしようもない、生理的な嫌悪感を感じたわね。

 たぶんファッションなんてものがない国なんだろうけど。ファッションどころか、着るものも食べるものもない国だということは、わかっているんだけど。

 ファッションって、自分の顔や身体や性や心の感覚、それも皮膚感覚のアイデンティティでもあるからね。

 そういうものが個人の自由でないって……やっぱり、なんかもの凄く「ただならぬ」ことではある。

 張り付いた表情の笑顔と、将軍様に口紅の色選んでもらう美女応援団って、最近見たもののなかで不気味さと後味の悪さではダントツにナンバーワンだったなあ。

 それにしても、表情や笑顔といえばあの5人の拉致被害者達の帰国後の、顔や表情の変化もすごかった。

 彼らが始めてタラップに出てきたときの顔は、「北朝鮮顔」とでも名付けたいような、固くて緊張した張りつめた表情をしていた。

 周りの人々やTV見てる私たちにまで、不安を与え緊張させてしまうような。

 それにくらべて、故郷で幼なじみと抱き合ってる顔は、リラックスして心から笑っていて、すごく人間らしい表情をしていた。

 周りの人々やTV見てる人たちまで、ホッと嬉しくなってつい微笑ませるような。

 あれ見てたら、あらためて「人間の顔ってすごいな! 人の表情ってすごい力があるものだなあ」と、思ってしまった。

 表情一つで、人間の顔ってこんなにも変わるんだ。

 人の顔や表情って、簡単にその場の空気を変えちゃうぐらい力があるものなんだね、本当に。

──美人とブスの分かれ目

 よく「40過ぎたら自分の顔に責任を持て」なんて言うけど、私は最近この言葉を「40過ぎたら、美人もブスも自分しだい」と理解するようになった。

 50代の私は、このごろ周りの同世代の人間を観察しては、「人の顔のきれいさって、絶対に顔の造形によるものじゃない」と、しみじみ確信している。

 50代にもなると、シワだのたるみだの肌の張りのおとろえだの、誰もが老いという現象に絶対に勝てなくなってきて、みんな同じような印象の「50代の顔」になってくる。

 もう美人もブスもフツーも平等に、みーんな「50代の顔」になる。

 もっとも今どきの50代って、けっこうみんな若くでギラギラしてたりするんだけど、この顔の筋肉や肌の「地球の引力に逆らえない」風情だけは……誰もが、絶対に隠せないものみたい。

 で、この地球の引力に勝てない50顔を、ステキないい顔にするかヤナ感じのブスにするかは、もう表情しかないのだということを、最近発見した。

 表情が美人とブスを決めちゃう。

 嘘じゃないのだ、これが。私ここへきて、「美人とブスの分かれ目は、表情だ」という、ものすごい「真理」を発見した思いだもの。

 もっと若いときにこのことがわかってたら、顔のことなんかで悩んだりすることもなかったのに……と今では思うんだが。

 例えば、いつも口を引き結んで、下から人を三白眼で睨みつけるような目つきで、いつも高飛車な物言いをする人がいた。

 で、私は「この人ってブスだなあ」と内心いつも思ってた。ある時その人をよく見たら、そりゃあきれいな顔立ちしてて「あっ、この人昔は美人だったんだ」って、びっくりしたことがある。50代に入った今じゃ、ちっとも美人に見えてないわけ。

 逆に、すごくチャーミングでステキな人だといつも思ってて、ある時よーくその人の顔の造作見たら、「ちっとも美人じゃなくて、どっちかっていうとオヘチャの部類かも」って人がいる。

 この人は50代の今では、完全にチャーミングな美人に見えているのね。

 こういう人はたいていみんなに好かれていて、いつも周りの人まで気持ちよくさせるようなオーラを発信している、表情でね。

 こういう美人かいるってことが、本当にわかってくる年代だね、50代って。

 笑ったり怒ったりする表情はもちろんのこと、眼差しや顔のちょっとしたしぐさや癖、そんなその人独特の雰囲気や個性の集大成が顔になる。そして、そういう全てがステキないい顔になったり、平凡でつまんない顔になったり、下品で卑しい顔になったりするわけだ。

 例えば「目つき」ひとつとっても、上目使い、盗み見る、目をそらす、オドオドしてるといった、イヤな感じの目つきがある。

 なぜそういう目つきになるかというと、心に嘘とか意地悪とか怯えとかあるいは猜疑心なんてのを、持っているからじゃない。

 で、そういう目つきばかりする人っていうのは、そういうものをいつも心に持っている人で、結局つまりはそういう人なのよね。

 逆に、気持ちよくまっすぐに相手を見て、相手に信頼感を与えたり、優しいオーラで相手を包み込むような目つきをする人もいる。そういう人は、やっぱり心に信頼や優しさや、あるいは相手を「大好きよ」というメッセージをたくさん持っているからだ。

 そして、そういう風に人間を見たり感じたり出来る人だからなのだ。

 そんな風に人の表情や顔を考えるとき、表情ってまさにその人の心の在り方なんだなあと思う。

──いつも心を着ている

 人間って、必ず他人の中で生きている。

 他人に対する心の開き方や向き方なんてものが隠しようもなく顔に表れて、表情や顔つきになったりする。

 で、それは結局は「他人にどう向くか」というだけでなく、つまりは人間に対する「立ち方」といった自分自身の生き方や心の問題になってくるんだろうね。

 そんなことが、とてもはっきりとその人の美しさや醜さを現してしまう……私たちって、そんな年代なんだろうなあ。

 人間って顔で、表情で、いつもいやおうなく心を着ているのかもしれないね。

『生活教育』ホーム ライブラリーのトップ 次の回へ