タイトル

連載 今という時代に/第12回・最終回(2003年月号掲載)
北朝鮮と子どもの服
宮谷史子 ファッションライター

──北朝鮮の子供服

 最近ずいぶん、北朝鮮国内のドメスティックな情報が、いろいろとニュースに出てくるようになった。

 NGOや脱北支援者が撮った隠し撮りから、朝鮮中央テレビの番組まで、北朝鮮というと私はテレビの前にすっ飛んでいって、この国を凝視せずにはいられない。

 反米集会の様子を見ては、「ええっ、これカラー映像なの?モノクロかと思った」と、人々の服装の色彩のなさに驚く。

 農民や工場労働者が「将軍様のお導きで……」とやり出せば、「TVに映るヤツには、少しはこざっぱりした格好させるんだろうなあ」と、その服装を点検する。

 朝鮮中央テレビの正月番組で、日本で言えばお笑いタレント達がみんな軍服を着てたのには、改めて「ああ、軍事国家なんだ!」と、びっくりする。

 私は、今、あの国の服装チェックに忙しい。凝視しせずにはいられない。

 とても気になっていることがある。

 北朝鮮の子供たちのこと。

 私は子供服の本を書いたこともあり……とても気になる。

 あの見えない過酷な国のなかで、たくさんの子供たちが「着ながら」生きているはずなのだ。

──洋服を着た子供たち

 最近見た朝鮮中央テレビの番組で、今さらながらと思いながらも改めて度肝を抜かれたのは、子ども向けプロパガンダ番組だった。

 ずらーっと並んだ幼稚園児(たぶん、学校の制服と赤いスカーフしてなかったからね)たちと美人の先生が終始、例の張り付き笑顔でやりとりをする。

「みなさーん、お父様なる将軍様からいただいたぶどうを食べましたか?」

「はーい、私のは大きくておいしかったでーす」

「はーい、僕のはドロップより甘かったでーす」

「将軍様はいつもあなたがた幼い子どもたちのことを気にかけて愛してくださり、おいしい季節の果物などを届けてくださるんですよ」

 ここで、居並ぶ園児たちは互いに隣の子と手と手を取りあわんばかりのしぐさで、小首をかしげていっせいにシナを作り、例の笑顔でホェーとかフェーとかの感嘆の声をあげる。

 「愛のぶどう」っていうの。私、三回も見た。

 凄い! 凄すぎ! もう、目が釘付け。

 なにが凄いって、幼稚園児たちのみんな同じ判で押したような笑顔が凄い。幼い子どもだから作り笑いとも違う、みんな本気笑い。

 なーるほど! 美女応援団のあの笑顔は、こんなに小さいときから作り上げられるんだ。

 それから、子どもたちの妙なシナ作ったしぐさが、凄い。

 幼稚園児も小学生も北朝鮮のテレビに出てくる子って、体操もバイオリンも歌うたう時も、みんな小首をかしげて小指を立てた手を添えるといった妙なシナ作る。小さい子がこれやると、ホントに不気味なんだけど……あれも、将軍様の趣味なのかしら?

 で、私がなによりも目が釘付けになって離れなかったのが、子どもたちが着ていた子供服。

 朝鮮半島の人々が、原色や彩度の高いピンクやブルーを好むことは、チマチョゴリの色づかいや韓国の土産物などで知っている。

 日本人にはちょっとない色感と美意識で、「下手すると下品になる色づかいなのに、見事に美しいものだなあ」と、いつも思ってた。

 しかし、小さなチマチョゴリを着た女の子以外の、この幼稚園児たちの洋服のセンスは、なんとも悲惨だった。

 その昔、私が子どもだった時代の中原淳一のスタイルブックを、原色に直して粗雑に作ったような感じ。朝鮮半島独特の彩度の高い美しい色感が最悪の形で現れた、サテン(光沢のある布)で作った、仕付け縫いだけの雑な安っぽい四〇年前の子供服。

 うーん……私は、三回凝視したが、三回とも本気でうなってしまった。

 この子供服から感じる、ある種の「雑さ」「荒さ」は……いったい、なんなんだろう?

 前に、「その国の軍服を調べれば、その軍隊の力や性格やレベルはおろか、その国の軍事力から政治経済から国力に至るまで、全てわかる」という話を聞いたことがある。

 私は、北朝鮮の子供服を見ながら、この国の子どもがどんな風か、この国が子どもをどんなふうに考えているのか……考え込んでしまった。

──哀しい軍服

 軍服といえば北朝鮮の軍服のことは、かなりニュースレベルでマスコミにとりあげられるようになってきた。先日、北朝鮮の軍服をディティールまで詳しく見せているニュース番組を見ていて、私はあ然とした。遠目にパレードだけ見ててもわからない軍服のディティールは、多少洋服や洋裁の知識がある人間なら、腰を抜かすようなシロモノだった。

 素材、裁断、縫製、細部の始末……どれをとっても、まったく日本では考えられないようなレベルのものだった。

 軍服のような、なにより防寒や堅牢度や耐久性が要求される服が、まるでしつけ糸の仮縫い状態で出来上がっている……とでも言えばいいか。「手抜き」なんていう、生やさしいものではない。

 例えば、普通ならミシンを三本入れるところを、粗いミシン目で一本縫うだけとか。例えば、縫い目が表からでもハッキリわかるほど引きつれていたりとか。例えば、防寒や堅牢度のため普通は当然付いているはずの、服の裏地が付いてなかったり。裏地がないから、当然裏地の始末もないわけで……

 ちょっと、私たちの「服という常識」では考えられないような、荒々しい服の作り方なのだ。

 例えば、「通常四十六工程かけて服を作るとしたら、十三工程ぐらいで見かけだけ服にした」、そんな感じの「書き割り」みたいな服。

 あれで、実用に耐えるんだろうか?

 帽子も、靴もそう。軍帽の裏側は、ベカベカのビニールがビニール糸で粗くしつけをかけただけだし、軍足のスニーカーの底はペラペラした一枚ゴムだったりする。

 よっぽど、布地も糸もないのだろうなあ。

 その番組では、下級の兵士は軍服は夏も冬も兼用だと言っていて……耳を疑った。厳寒の地で? 裏地のない服で? 今だに、あれだけはちょっと信じられない。でも、以前亡命してきた北朝鮮の空軍のパイロットは、靴下替わりに足に布を巻いていたというものね。

「えーっこんなモノ着て、あの足を飛び揚げるようなパレードやってたわけだ。こんな粗末な靴で、自転車担いで崖よじ登る自転車部隊とか……やってるわけだ。あの白い風呂敷みたいな布をマントにしたスキー部隊ってのは、下手すりゃ裏地も付いてない服でスキーやってるわけ? そんな服でスキーはいて風切って滑ったら、冗談じゃなく命がけだよ! 凍傷だよ!」

 私がテレビを見ながらブツブツ言っていると、息子が言った。

「自衛隊のスキー部隊なんて、全身真っ白でそりゃあカッコイイけどなあ。北朝鮮のスキー部隊は、白いのはあの首に巻いたヘンな布きれの表側だけだもんなあ。あれ見てると、『本気でこんなことやってるんだろうか?』って、思っちゃうよなあ。なんか、『いっそ、おチャメ!』って感じさえしてきちゃうもんなあ。第一次世界大戦でもあるまいに、ピンポイント攻撃の時代に、頭で瓦割ったり丸太でどづいたり、自転車担いで山駆け登ったりさあ。金正日って、本当はおチャメなのかもしれないぜ。笑い取るのが、本当は大好きだったりして……そんな気さえしてきちゃうよなあ」

「おチャメにしか見えないようなことを、マジで国をあげてやらされてるんだねえ。凍傷になりながら、死ぬか生きるかで。この『書き割り』みたいな悲惨な軍服見てると、なんか胸が痛くなってくるよ」

──子供服から見えるもの

 しかし、私は軍服の作りの粗雑さ見ていて、あの張り付き笑顔でシナを作っていた幼稚園児たちの子供服から感じた、「粗さ」「雑さ」の正体が、だんだん見えてきた。

 北朝鮮では、服とはああいうものなのかもしれない。

 軍の支給品であろうと、買ったものであろうと、母親の手作りであろうと、服とはああいう「書き割り」みたいなモノをいうのかもしれない。

 「服」という概念そのものが、荒くて雑なのだ。

 ということは、おそらく「着ること」も「生活」も、そして「生きること」も、荒くて雑なのだ。

 だって、着ることも生きることも同じことだもの。

 しかし、これほど雑で荒くて「手抜き」の子供服を着せられる子ども達って、またどれくらい雑に荒く「手抜き」で育てられることだろう……などと、ふと思う。

 北朝鮮の親たちが子どもを愛さないとか、そんなことを言っているのではない。

 社会という環境が、雑に荒く手をかけずに子どもをはぐくんでいる……ということだ。

 どれくらい心の栄養や糧を、想像力や空想や夢を、あるいは希望や未来を与えずに子どもを育てているか……ということだ。

 音楽も歌も踊りも、絵もテレビもアニメも「偉大なる将軍様」と「反米や反日」と「革命」一色で育つことの、その「貧しさ」を言うのだ。

 様々な美しい楽しい絵本も音楽もお話の世界も知らないで、育つ貧しさ。ミッキーマウスもナウシカもハリーポッターも知らずに育つ貧しさ。流行り歌もアイドルもトレンディドラマも知らずに育つ貧しさ。Jリーガーや野球選手に憧れることも知らず、ひたすら将軍様を敬愛し崇め、革命を目指すことしか知らないなんて……なんて、雑で荒々しい、貧しい育ち方だろう。

 ニッコリ笑ってシナを作る子どもたちの子供服のなかに私が見た、いいようのない「荒さ」と「雑さ」の正体は……もしかしたら、こういう精神的な「貧しさ」からくるものだったのかもしれない。

 それにしても、私が見た北朝鮮の子供服って、この「愛のぶどう」の幼稚園児に代表される、こざっぱりと小綺麗な(北朝鮮では)格好をしている子ども達の子供服。

 それから、平壌の街を歩いていたり学校で反米を誓ったりしている、制服に赤いスカーフを結んだ小学生や中学生の制服の子供服。

 それから、外国人カメラマンやNGOが隠し撮りで撮った、市場の冬服の人々の間を夏服のボロボロのシャツとズボンにボロ布巻き付けて素足で拾い食いして歩く、痩せこけた子どもの子供服。

 あるいは、やはり隠し撮りで顔をモザイクで隠した、脱北を目指す家族の子どもたちの市場の裸足の孤児と同様の、ボロボロの子供服。

 だいたい、この三つのパターンに分けられる。

 で、この子供服三つ並べてみれば、いやでも見えてしまうことは、いくらでもある。

 この国では、同じ子どもでも境遇によってこんなにも服装に差があるということ。

 厳寒の市場をうろつく素足の孤児の服装は、それはそのまま死を意味するほど、服装というにはあまりに粗末でむごたらしいシロモノであるということ。

 例え、生まれた境遇が裕福でこざっぱりした服を与えられていても、それは本質的に雑で粗くて貧しい印象がぬぐえない服だということ。

 そして、学生には「服装の自由」がないらしいこと。

 私は子供服から考えても、あの国の子どもたちが自分を精一杯生きていけるとは、どうしても思えない。

 子供服から考えても、子どもの心を守ったり育てたりしない、子どもの自由も権利も守られてない国だと思う。

 子供服からみても、子どもが死にさらさられている国。

 子どもが、とてもかわいそうな国。

 北朝鮮の子供服は……私には、とても痛い。

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